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みちのく潮風トレイル冒険録18:大船渡、夕方5時のチャイム(小友駅→盛駅)

 またしても冒頭から話が横道に逸れて恐縮だが、いい機会なので、この冒険録の書き手である「海老名」とは何者であるのかをここで定義付けておこうと思う。
 「海老名」とは、「アイドルマスターシンデレラガールズ」というゲームにおける「ブルームジャーニー」というユニットの担当プロデューサーとしての、私の「分人」である。
 説明が必要な単語がいくつか出てきた。
 海老名が「アイドルマスターシンデレラガールズ」というゲームにおける「ブルームジャーニー」というユニットの担当プロデューサーであることは、以前の記事でも説明しているので、改めて述べることは避ける。
 ここで説明したいのは、「分人」という考え方についてだ。
 「分人」とは、私の好きな芥川賞作家平野啓一郎氏が創作した造語である。私の言葉で説明するより、まず平野氏の小説「ドーン」から、NASAの日本人宇宙飛行士佐野明日人(アストー)とその妻今日子(今日ちゃん)の会話の一節を引用しよう。

「わたし、分かるようで、いまいち理解してないの、分人主義dividualismって。――アストーは、詳しいでしょう?」
(中略)
「<個人>っていうのは英語でindividualでしょう?これは元々は、『分ける』って意味のdivideに、否定の接頭辞inがついて、『分けることができないもの』っていう意味なんだよね。」
(中略)
「ところが、日本語で<分人>って言ってるそのdividualは、<個人>individualも、対人関係ごとに、あるいは、居場所ごとに、もっとこまかく『分けることができる』っていう発想なんだよ。
 人間の体はひとつしかないし、それは分けようがないけど、実際には、接する相手次第で、僕たちには色んな自分がいる。今日ちゃんと向かい合っている時の僕、両親と向かい合ってるときの僕、NASAでノノと向かい合ってる時の僕、室長と向かい合ってる時の僕、……相手とうまくやろうと思えば、どうしても変わってこざるを得ない。その現象を、個人individualが分人化dividualizeされるって言うんだ。で、そのそれぞれの僕が分人dividual。個人は、だから、分人の集合なんだよ。――そういう考え方を分人主義dividualismって呼んでる。」

平野啓一郎「ドーン」

 だいたいおわかりいただけただろうか。
 私は、この「個人は分けることができる主体である」という分人主義dividualismという考え方がとても気に入り、自分の価値観の根底においている。分人主義という考え方の利点は、個人を無数に存在する分人の集合としてとらえることで、それぞれの分人においてなにかトラブルや上手くいかないことに見舞われたとしても、あくまでもそれはその分人における出来事と自分の中で相対的に矮小化することができるということだ。もし、ある分人における人間関係に破綻をきたしたとしても、あくまで破綻したのは一つの分人にすぎず、全体としての個人が破綻したわけではないと割り切ることができる。ほかに自分にとって満更でもない分人を持てているのなら、その分人を足掛かりにして、破綻をきたした分人は必要に応じて切り捨てて、集合としての個人を再デザインしていけばよいと考えることができるというわけだ。
 引用した小説「ドーン」は、人類初の有人火星探査成し遂げたクルーの一人であった日本人宇宙飛行士佐野明日人が、地球に帰還した後で大きなスキャンダルの渦中に置かれ、この分人主義の考え方を根底に人生をやり直していく姿を描いた物語である。分人主義という考え方に興味を持った方はぜひ読んでみてほしい。
 私は、2013年ごろからアイドルマスターシンデレラガールズのコミュニティに属してプロデューサーとして活動し、数は決して多くはないものの長く付き合いの続く友人ができた。その友人たちとのコミュニケーションを通して「海老名」という分人dividualが形作られてきた。
 私にとって2013年頃は、人生の目標を見失って途方に暮れていた時期だった。その頃にアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツに出会い、それを通して「海老名」という分人を獲得した。それが存外に心地よい分人であったので、私は「海老名」という分人をベースにして私という個人の再設計を図った。そのおかげで、今日までなんとか生活することができている。
 ここで一つの疑問が湧くかもしれない。なぜ、アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツとは一切関係がないみちのく潮風トレイルをめぐる冒険の記録を「海老名」という分人を書き手として著す必要があるのだろうか。別のハンドルネームを使うなりいっそ実名を使うなり(このアカウントのアイコンでは顔出しをしてしまっているし…)すればいいのに、それをせずこの冒険録を「海老名」という分人に帰属させているのはなぜなのか。
 「海老名」が担当しているブルームジャーニーというアイドルが「冒険」をテーマにしているアイドルだからみちのく潮風トレイルを歩くという冒険を「海老名」という分人に帰属させたいというのも理由の一つだが、最大の理由は、今でも「海老名」という分人が自分にとって最も居心地の良い分人だからということに尽きる。私という個人を構成する分人は無数に存在するが、その中で今自分の根底をなしているのが「海老名」であるから、その分人を通してみちのく潮風トレイルを歩くという冒険を語りたいのだ。
 そういうわけで、「海老名」が歩む冒険の記録を、これからもお読みいただければ幸いである。

Day28:小友駅→盛駅

2022年10月9日(日)
 前置きが長くなってしまった。本題に入ろう。
 本日の冒険の舞台である岩手県大船渡市は、あまりアクセスの良くない街である。東北新幹線の止まる一ノ関駅から大船渡線の汽車で気仙沼駅まで1時間半、気仙沼駅からは大船渡線BRTのバスにさらに1時間ほど揺られなければいけない。
 退屈なBRTの旅をなんとかやり過ごし、小友駅で下車して今日の冒険を始める。

 小友駅から1kmほどを歩くと、陸前高田市と大船渡市の境界をこえる。大船渡というと、やはり千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手を思い起こす人が多いだろう。彼が完全試合を達成する瞬間の中継をトレイルからの帰り道の汽車の中で見届けたことは、以前述べた。佐々木投手は陸前高田市の出身だが、小学3年生の時に東日本大震災で実家を流され家族を亡くし、親戚のいる大船渡市に居を移したという。その後大船渡高校に進学した佐々木投手が「令和の怪物」として全国の注目を集め、3年生の時の夏の甲子園岩手県大会決勝戦で登板を回避したことが物議をかもしたこともあったが、そんな騒動も佐々木投手の完全試合達成という偉業ですっかり過去のものとなった。活躍を続ける佐々木投手の姿は、陸前高田や大船渡の人々に大きな希望を与えていることだろう(個人的には、私は東北楽天ゴールデンイーグルスのファンなので、ドラフトで楽天が佐々木投手のくじを外したのが今でも残念に感じているのだが…)。

 門の脇という漁港から、碁石岬のある小さな半島に入っていく。半島の付け根には、昭和の三陸津波が襲来したことを示す石碑が建っていたり、シフォンケーキを売る自販機があったりする。

 碁石岬にはみちのく潮風トレイルを管理している5つのサテライトのうちの1つ、「碁石海岸インフォメーションセンター」があり、案内板の類が充実している。ちなみに次のサテライトは宮古市の「浄土ヶ浜ビジターセンター」となるので、次のサテライトに訪れるのはかなり先のことになる。

 海岸が碁石のような黒い玉砂利で覆われていることから、このあたりの海岸は碁石海岸と呼ばれているのだという。碁石岬の先端には小ぶりな灯台もあり、観光客も訪れている。

 海の向こうには、これから挑むことになる綾里崎が曇りがちな空の下に横たわっているのが見える。

 碁石海岸インフォメーションセンターを過ぎると、トレイルは自然歩道に入り、海岸線に沿って激しいアップダウンを繰り返す。歩きごたえのある道に息が上がるが、広田半島でも似たような道を歩いたよな…と思わないでもない。途中には、北緯39度を示す標識がたっていた。

 半島の根元に戻り、大船渡の市街地を目指して車道を歩いていく。国道45号に合流し、大船渡の漁港が見えてきたあたりで、防災無線のスピーカーからThe BeatlesのYesterdayが流れてきた。昏れなずむ漁港に響く夕方5時のチャイムが、今日はなんだか心に響く。
 日没が近い。ヘッドライトを装着し、先を急ぐ。

 今日の宿であるホテルルートイン大船渡は、国道沿いに建っている。一旦ホテルにチェックインして荷物を部屋に置き、キリのいいところまで歩いておこうと真っ暗闇の大船渡の街を更に進む。盛駅を今日の終着点とし、ホテルの最寄りである大船渡駅までBRTで戻って本日の行程を終えた。
 この日は、24kmあまりを5時間ほどで歩いた。

 翌日、予定では盛駅から綾里峠を越えて綾里駅まで歩いてから帰宅する予定だったのだが、天気予報は激しい雨、大雨の中峠道を歩くのは危険だと判断して、大人しく断念することにした。この2日間はJR全線の普通列車が2日間乗り放題になる「鉄道開業150年記念秋の乗り放題パス」を利用しての旅だったので、帰りがけに三陸鉄道を経由して釜石線の快速はまゆりに乗車し、一旦盛岡まで足を延ばしてから帰宅することを予定していたのだが、釜石線は運休のためそれも断念、大船渡駅から大船渡線BRT・気仙沼線BRTのバスを乗り継いで、またしても退屈なBRTの旅で帰宅の途についた。
 大船渡駅の駅前にも、お馴染みのトレイル見どころ看板が立っていた。

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