見出し画像

ふくしま浜街道トレイル冒険録5:3月11日、双葉(浪江→双葉)

 3月11日にトレイルを歩くことをはじめて3年目。今年の3月11日はふくしま浜街道トレイルを歩き、双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館で14時46分を迎えようと思った。そのための時間の調整として、前日のセクションの終点である夜ノ森駅から双葉駅までのセクションはいったん後回しにして、今日は道の駅なみえを起点に南に向かって双葉駅まで歩くことにした。そうすれば、東日本大震災・原子力災害伝承館に昼過ぎに着いて14時46分を迎えることができるという計算だ。

Day6:道の駅なみえ→双葉駅

2024年3月11日(月)
 今日の起点の道の駅なみえは、双葉郡浪江町に所在する。浪江町もまた、全町避難を余儀なくされた自治体だ。浪江町の名産品のひとつが「大堀相馬焼」。浪江町大堀地区で生産される陶器で、相馬藩のシンボルである馬が焼き物にデザインされていることが特徴だが、この大堀相馬焼も原発事故の影響で浪江町外に避難して生産を続けていた。今ではいくつかの窯元が浪江町に戻って伝統を継承しており、陶器はここ道の駅なみえでも販売されている。私も馬の模様が描かれた大堀相馬焼の湯呑を自宅で普段使いしている。

大堀相馬焼の湯呑

 震災前は人口20,000人を超えていた浪江町だが、避難指示解除以降に帰還した住民の方の数はあまり多くないということで、町は静かな雰囲気だ。震災で被害があった建物が長らく放置されていて一時期は廃墟が立ち並んでいたがそれも解体が進み、街中は空き地が多い。
 川に沿って、海に向かって歩いていく。
 かつて鮭漁が盛んであった請戸(うけど)川の河口には、請戸漁港がある。それほど大きくはないが、港に適した土地の少ない浜通りでは貴重な漁港で、「常磐もの」と呼ばれる水産物の水揚げの拠点となっている。この漁港の周りには請戸の集落があったはずだが、津波による大きな被害で多くの人が亡くなり、今では集落そのものがなくなってしまった。

請戸漁港

 漁港のすぐそばに、真新しい木造の建物が建っている。この建物は苕野(くさの)神社という神社の社で、津波で全壊したお社がつい最近になって再建されたものだそうだ。請戸の集落は建物が一切なくなってしまっているので、真新しい拝殿は周囲からもよく目立つ。この神社は延喜式式内社で、延喜式神名帳が編まれた平安時代にはすでにこの地に祀られていたということなので、双葉郡でも屈指の歴史ある神社だと言える。訪問者ノートにメッセージを残していると、3月11日ということもあってかちらほらと参拝客の姿が見えた。

苕野神社の拝殿
お祭りの様子が飾ってある

 請戸の集落のはずれには、震災遺構請戸小学校の建物が保存されており、中を見学することができる。海のすぐそばに建つ小学校だが、震災の時は的確な判断で避難し、一人の犠牲者も出さなかったそうだ。

震災遺構請戸小学校。テレビ局の中継車が来ていた。
津波の威力の凄まじさを伝えている

 請戸小学校から、双葉町に向かって歩いていく。浪江町と双葉町の境界付近は集落や水田の跡地を「福島県復興祈念公園」として整備する工事の真っ最中。仮設の展望台が建っており、周囲を一望することができる。請戸小学校から東日本大震災・原子力災害伝承館までは徒歩で30分ほど。復興祈念公園はこの二つの施設の間の地域を、かつて存在した集落跡を含む形で公園として整備する計画のようだ。

建設中の復興記念公園

 「東日本大震災・原子力災害伝承館」に到着。この資料館は福島県が運営していて、浜通りに点在する震災関連の資料館では最大規模のものだ。この日は3月11日ということで多くの人で賑わっている。展示はシアターでのムービーから始まるが、ムービーのナレーションは先日亡くなった福島県出身の俳優・西田敏行さんが務めている。館内の展示は津波そのものよりも原子力災害についてとそれによって影響を受けた福島県の人々の解説に力点が置かれていて、以前の旅で訪れた岩手県の東日本大震災津波伝承館の力強く復興の歩みを伝える展示とは趣が異なる。
 この伝承館では、語り部さんのお話を聞くことができる。私が参加した回の語り部さんは南相馬市(南部が避難指示区域となっていた)の方で、親族が津波で行方不明になったものの原発事故の影響ですぐには捜索活動を行うことができず、大変つらい経験をされたということだった。

東日本大震災・原子力災害伝承館
当時の緊迫感が伝わる新聞の展示
震災前の小高駅の時刻表。現在よりも列車の本数は多い。

 語り部さんのお話が終わると、14時46分が近づいており、来館者に黙祷を呼びかけるアナウンスが流れている。伝承館の3階には海を見渡せるテラスがあり人が集まり始めているので、この場所で14時46分を迎えることにした。伝承館の前庭の芝生には、ランタンを並べた3.11の文字アートが作られていて、遠くに海が見える。14時46分を知らせるサイレンに合わせ、海に向かって静かに黙祷した。
 伝承館の1階ロビーに降りると、3月11日のメモリアルイベントとして台北フィルハーモニー管弦楽団のコンサートが行われていた。

芝生に作られた3.11のアート
有名な標語看板(レプリカ)

 夕暮れが近い。伝承館を後にして、双葉駅に向かって歩いていく。伝承館から双葉駅までは徒歩30分ほどだが、人で賑わっていた伝承館とは異なり、双葉駅前は全く人の気配がない。やはり、伝承館には多くの人が自動車で訪れるのだろう。静かな双葉駅前には震災時のまま保存(もしくは放置)された建物が多くあるが、それらについて詳しくは次のチャプターで取り上げることにしよう。

放置された高齢者施設の建物
14時46分で時計が止まったまま保存されている消防屯所

 双葉駅から常磐線に乗り、双葉郡で過ごした2024年3月11日の旅を終える。
 この日は11.6kmを、寄り道も含めて5時間40分で歩いた。
 ※苕野神社はQGIS上で漢字をうまく表示できなかったので以下の地図では平仮名で表示しています。

 北側のセクションは↓

 南側のセクションは↓


いいなと思ったら応援しよう!