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汚れた英雄(2023.07.21追記)

汚れた英雄

原作である大藪春彦氏の小説ではなく、1982年に角川春樹製作、主人公の北野晶夫役を草刈正雄が演じた映画について語ります。

日本GP決勝までの2週間程にフォーカスして、北野晶夫の生活をレポートするそんな視点で描かれてはいるものの、主観的な心の声を語らせることは一切なく、あくまで会話で一部彼の性格形成に寄与した思い出をプライベートチームに雇う家族3人のメカニックの奥さん役の浅野温子に語るのであるが、浅野温子もまた18歳で息子のカズミを産んだ時のエピソードを語る。しかし、アニメならよくある「主人公の心の中の声」を語らせることは一切ないからか、どこか主人公に感情移入したくてもしきれないファッション誌を見ているような描き方がされている。

たくさんのコストをかけていくつもの見どころが散りばめられている作品だとは思うが、何よりも圧巻なのが、オープニングからマシンにとりつけたカメラでコースを一周する映像、今ならばGoPROで簡単に撮れるでしょうが当時は大変だったと思います。

ヤマハのロードレーサーを平忠彦、木下恵司らの現役レーサーが疾走するシーンは、その後、ケニーロバーツを呼びTech21カラーで8耐を走り抜けた平忠彦選手の活躍を予感させる映画でもありました。
いまの若者には、「こんなんありか」とツッコミどころ満載の映像の数々ですが、還暦から50代のバイク世代の親父たちはこんなものをひとつの憧れとして見ていたから80年代後半にバブル景気へと突っ走っていったのだと理解できるきっかけになるかもしれません。

時々なつかしく見返すことがありますが、夜明けの首都高3号線をALPINAで高樹町から青山トンネル手前を走り抜けるシーンにだけはいいなと思わせます。シーボニアのヨットに乗ったことあったなぁとか、北野晶夫のストイックな生活はとても出来そうにない反面、彼の自宅のウォーキングクローゼットのグルグル回るのは真似してみたいなとか。

要するにファッション誌的に見て自分の生活の中で模倣するそんなものであって、庶民が北野晶夫の本当の核心にはとうていたどりつけないだろうと角川春樹監督になめられているそんな気持ちになります。

確かにそうかもしれないし、それで何も構わないのだけど。どんな立場でも生きることはもがき転び痛みを抱えながらも一歩でも前へ行く格好良くなんかは無いんだ。そしてふいに訪れる終わりの時に自分は悔いのない人生だったと、また周りに迷惑をかけずに息を引き取ることが出来るのだろうかと自問自答してみるのです。

Amazon videoでは「角川チャンネル」に登録することで、U-Nextでは基本料金で見られます。(2023年7月21日現在)

2023年7月21日追記

角川チャンネルに登録して動画を再度見てみました。

オープニングのコースを走るシーンはいつ見てもワクワクさせられます。
それと同時に、画像が鮮明になったのか?アキオが着ていた純白のツナギの左肩のミシュランのビバンダム君のワッペンが両手を高々と上げているレアなものだったり、アキオの右腕の内側に10センチ以上の痛々しい傷跡がついていたりとやけにシーンの細かいところが気になるようになりました。

浅野温子さんとの会話含めてほとんどの会話のシーンでただ顔のアップで会話するのではなく、浅野温子さんがサイフォンで入れているコーヒーのアルコールランプを外しサーバーからカップに注いで手に持つという「何かをしながら」会話をしていました。

同時に、アキオ役の草刈正雄は出かける準備でそれまで着ていた純白のツナギを脱いで着替えているといった感じです。

「人は向き合って会話することは滅多にない」との角川春樹氏の信念でもあるかのように見えました。

浅野温子が草刈正雄に対して翌年の世界選手権メカニックはどうするのか?を訪ね「向こうで探そうかと思っている」と回答するような大事なシーンでは、「何かをしながら」ではないのです。その代わり、お互い外の雨を見ながら視線は合わせずに会話しています。

「晶夫を一緒にいたかった。」という浅野温子に対して、向き合った一瞬視線が合うが、すぐに視線を離す。草刈正雄はベッドに腰掛ける。
「ガキの頃、親父とおふくろが死んで、叔父のうちで育った。下町の修理工場だ。学校にいくより店の手伝いをさえられる時間が多かった。夏になると泳ぎに行きたくてもいけない。晴れた日は店が混むから。雨の日だけ泳ぎに行った。夏の海なのに誰もいない。寒くて、暗い、来る年も来る年も誰もいない海で泳いだ。そのうち、晴れた日の海ではもう泳げなくなった。」

誰もいない海でしか泳げなくなったという言葉が、前半で自分の家の中の誰もいないプールに浮かぶアキオの姿とダブる。

この感情が彼の孤独と強さの両立の原体験だったということ。

これまでの自分には分からなかった感情でした。しかし、コロナを経験してなかばひきこもり生活をしていたことで、コロナが明けても世の中に積極的に出ていけていない感情がある自分の気持ちがどこかこの感情と重なるような気がしています。

上映中にアキオとあずさの二人が抱き合うような肉体的な交わりのシーンは描かれていないがアキオの近くにいて、抱いていないあずさにだけ彼の深い心の想いを語っているのが印象的でした。

その後だいぶ時間が経過してあずさこと浅野温子が奥田瑛二のメンテナンスの様子を見にいくと、バイクの隣りで華奢なパイプ椅子に窮屈そうに座って寝ている。あずさが地面に六カ国後会話の本が落ちているのに気付き、拾って「アデュー」とつぶやきながら机に雑に投げるように置き立ち去る。

アキオの他人を寄せ付けない理由を理解して、それ以上一緒にいることをやめたあずさの心を上手に描いていました。

大藪春彦さんの原作がどう描いているのか気になります。

レース当日、「行こうか。時間だ。」と草刈正雄に奥田瑛二が声をかけるシーンで「勝ってくれよな。かずみとあずさのためにも」と奥田瑛二が語りかけるのは、レース直前の緊張している場面でなぜそんな言葉をかけるのか?と私は思っていたが、奥田瑛二にはそれを言うだけアキオに対して依存があることを示したかったのだ。

レースシーン以外でアキオがバイクに乗るのは、かずみとモトクロッサーで遊んでいる時だけだった。
さまざまなシーンであえて言葉にしなくてもかずみを大事にしていることなど、アキオのやさしさがみえる。

そんな「汚れた英雄」が2023年10月角川から4Kデジタル修復Ultra HD版を発売します。

欲しいかも。

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アラン藤島
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