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HONDA スペイシー125ストライカー

「ターミネーター」の1作目(1984年公開)は、アーノルド・シュワルツェネッガーの出演作として有名ですね。1作目の思わぬ大ヒットを当時何も知らない中学生の私何故か1人映画館の最前席で見てどこまでも追いかけてくるターミネーターに「うわぁ!こえぇ!」と思わず声を出してしまったのを恥ずかしくも記憶しております。

「ターミネーター」に出てきました

1984年公開のこの映画の中で、サラ・コナー役のリンダ・ハミルトンが最初に出てくるシーンで乗っていたスクーターこそ今回のテーマ「HONDA スペイシー」のSPACY 125 STRIKERでした。 普通のウェイトレスで働いている役の彼女がノーヘルで、走ってくる姿がすごく印象的でした。

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スペイシーシリーズ

スペイシーシリーズは当初1982年に50ccと80ccが発売、1983年にリトラクタブルの125ccが、1984年に250ccのSPACY250Freewayが販売になります。125㏄のスペイシーと250ccのフリーウェイはその後も後継車種に発展していきます。

リトラクタブルヘッドライトの二輪車はSPACY125STRIKERの他にスズキGSX750S 3型‘750カタナぐらいしか頭に浮かばないのですが、この時代のスポーティな車はこぞってリトラクタブルヘッドライトでした。ハチロクやセリカ、マツダのRX-7、日産ガゼールなどリトラクタブルヘッドライトが一つの象徴で、日本はJapan As No.1の時代。世界の最先端を突っ走っていましたし、時代が前へ前へと進む期待感に溢れていたように幼いながらも記憶しています。

スペイシー125ストライカーを手に入れてみて

2000年の頃ヤフオクでスペイシー125ストライカーの初期型デジタルメーターを手に入れました。すでに旧車になっていたというか、誰も好んでは買わないような不人気車になるかならないかの瀬戸際にいた時期で、走行3000キロでリアケース付の極上車でも5万円したかな?というお値段で落札しました。

最初の印象は、フワフワフワフワのシートとダンパーの抜けたバネサスに、バネの伸び縮み時にギシギシ音が付き纏い、おまけにすぐにフルバンプするフロントリーディングフォーク、さらには全く効かない止まらないフロントブレーキで都内の激しい車の流れに乗ると追突しそうだからあえて加速しないで車間距離を開けて走っていました。

全く静かかつ良い音とは無縁な排気音も、当時は未来を見ていた4ストスクーターだから許せました。特に液晶デジタルメーターは何だか気分良かったです。

ハンドルカバー的に張り出しているウインカーのおかげで素手で走っても風が当たらず便利でした。

あとは何でしょうか、プラスチッキーなスペイシーシリーズの中で一番エッジが立ちながらも高級感があるボディは良いのですが、リトラクタブルヘッドライトのためにフロントが重く走りの楽しさはあまり無かったように感じました。

スペイシー80と250フリーウェイ

スペイシー125ストライカーのフロントブレーキの弱さを考えるとより加速が鈍いものはどうだろうか?とスペイシー80を2万円で手に入れてみましたところ、チャオ的に近所の足に使うならばありだなと思いました。何より軽くて便利でした。

しかし80ではやはり足りないと、今度は加速力があって、ブレーキもフロントディスクで強く高速だって走れてしまうスペイシー 250フリーウェイを4.5万円で手に入れました。

こちらは乗り出しに2万円かけてタイヤもオイルも交換してETCだって付けました。ベスパに比べるとハンドル位置が高いのに、腰が痛くなるほど低くふかふかなシートに慣れさえすれば、またこれまたフロントリーディングフォークサスペンションのフルボトムに注意し、時速100キロまでであれば今でも実用になる良いスクーターだと思います。

結果的に初代スペイシーシリーズは50ccを除き手に入れてしまいましたが、それでも総額10万円程でした。だからなんだですが、恐らくそんな人はあまりいないでしょうからちょっと豊かな気持ちになりました。

(2020.4.28追記)



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