【記録】空っぽの奥
いつからか、ずっと心の中心が空っぽになったような感覚が続いている。それがこの歳特有の青さからくるものなのか、自分で意識して変えていかないともう一生変わらない空虚感なのかは分からない。ただ、虚しい、という気持ちだけが私を覆って息苦しくさせる。何もかももうどうでもいい、という自暴自棄。生産性のない気持ち。
私は人と接することが得意では無く、その事について今まで何度も悩んできた。だが人と接することが嫌いな訳では無い。一人でいることはとても寂しいことだと嫌という程分かっている。人と触れて話して、人の温度を感じた時、とても幸せで心がやわらかくなる。だけど、やっぱり得意では無いのだ。人と接する時はなるべく嫌われないように、相手に嫌な気持ちをさせないように、と沢山のことに気を配らねばならない。それは当たり前のことなのに、ふとそんな自分を客観的に見て、「何をしているのだろう」と心が冷えていく。人からどう見られているのだろう。この人はどうして私と一緒にいてくれるのだろう。話してくれるのだろう。いつか、この人は私は何も持っていないつまらない人間だと気づいて離れていってしまうのではないか。ぐるぐるぐる、考えると、自分だけの殻に閉じこもってしまいたくなる。私のことを誰も知らない場所に駆けていきたくなる。自分のことを好きになれないから、人と関わる度に自分の人間としてのちっぽけさが際立って消えてしまいたくなる。
この虚無感の根底にある感情は、「どうせ最後には死んでいくのだから」というものだと薄々気づいてきている。この世の無常さをなんとなく知って、全てのものはいつか朽ちていくという事実を理解して、心が冷えた。そんな世界で今自分が毎日繰り返している日々になんの意味があるのだろうと考えた。考えて考えて考え続けた。答えは出なかった。強いて言うなら生まれたから生きなければいけないということだけがはっきりと分かった。止まることを知らない無力感の波が私の体中を巡っていく。
そんな無力感の流れと心の空洞を一時的にでも埋めてくれる存在が音楽だ。音で頭の中を満たして、それ以外何も考えられなくするのが大好きだ。この無常観へのやるせなさ、自分を認められないことへの苦しさを救ってくれそうな歌詞が綴られている歌もたくさん見つけた。何度もそれのおかけで心が柔らかくなった。だけど、私の空っぽな心は何度も結局負けてしまう。せっかく柔らかくなったのにまた固くなってしまう。
結局、自分のことは自分にしか救えないのだ。まず自分が自分のことを認めてあげられないと、好きになれないと、他者の言葉なんて本当の意味では心に響かないということに、そのことに気づくまでに長い時間がかかってしまった。こうやって自分の気持ちを書き出すことも自分を好きになるための一歩である。空っぽな心を埋められるのは自分しかいない。だから、その方法を探すために私は必死に生きなければいけないんだと、そう言い聞かせて明日も生きていく。そうするしかないからね。ね。
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