前向きに過ごせるようになっても、やっぱり辛くなる日はあるし、でも心配されたくないからお風呂で泣く日もある。でも、時間は過ぎていく。 少しでも、半歩でも前に進めているのかな。
今日はとことん自分の時間を作る日にしてみる。 そんな時間贅沢で罰を受けそうでちょっとしんどかったけど、自分を悲しませるのも、楽しませれるのも自分しかいない。そう思ったから今日は贅沢をあえてしてみる。
バーンアウトして約1ヶ月が経過している。 その中でも、学んだり行動したり比較的様々なことに 時間をつかえていたと思う。 1ヶ月も経つと、時々貰っていた同僚や上司からの連絡は ほとんど途絶えた。 まあ、当たり前のことだとおもう。 自分自身が今の生活スタイルに適応してきたように わたしのいない職場もきっと、いないことが日常化し適応しつつあるのだろう。 正直、ふと寂しさを覚えたのは本当であれば口にはしてはいけないのかもしれない。 けれど、わたしはやはり逆境をすぐにばねにし
セルフコンパッションを勉強したい。これがいまのわたしの1番の解決口だと思う。
ちょっと(?)適当で、人をクスッと笑わせることが平気でできて、ちょっと抜けていて、でもちゃんと相手のことを考えていてなんでも全力でできている人がいた。人としてすきだなあと思った。そんな人を信頼したいとおもった。
わたしは、たぶん人より敏感で、些細なことでも気にしたり感じ取ることが多かったゆえに生きづらさを感じていたけど、その反面、たくさんの小さなことでも感動できることが分かり自分が自分でよかったと思えた瞬間だった。
ランチは簡単にケチャップでナポリタン。 濃ゆ美味い。
まさに今の私にぴったりな単元。
ピクルスを漬けた。じっくり味わい深くなっておくれ。 最近は、マインドフルネスにとても興味がある。瞑想、ヨガ、自己理解とかウチガワを整えることを始めてみようかな。
はじめに、今日私が書くことは一個人の主観であって、 根拠もなければ間違っていることもあるかもしれません。 ただ、いまの気持ちや想いを正直に記録します。 ご理解をお願い致します。 不快な思いをする方もいらっしゃるかもしれません。 間違ってるよ!って言われるかもしれません。 その場合は、そっとこのページを閉じていただけたら ありがたいです。 昨日、初めて心療内科に行ってきました。 もともと私の勤め先に非常勤で来てくださっていた、 信頼のある先生のところでカウンセリングを受けて
私は生きる上で支障になる障害がある訳ではない。生命をおびやしかし寿命を決めるような疾患の罹患もない。五体満足だし、当たり前に生きれている。 なのに、平等に配分された24時間365日のなかで、今の瞬間生きるのを辞めたいぐらいに辛いのはこの世の中で自分だけだと思っていた日も朝は来た。
"普通"とか、"当たり前"ってなんだろう。基準もなければ、曖昧で、他人を傷つけてしまうことばにもなり得る。 今までは、周りや誰かと一緒でなければ不安だった。 でもいまは、私が私の中で納得できる生き方でいいと思う。 壁にぶつかって、乗り越えたり挫けたり間違えたりしながら進めばいい。
お勧め書籍。心が疲れてしまったときに、じんわりと包み込んであたためてくれる。そんな一冊です。
翌日から、私は2日間仕事を休んだ。 平日だったので当たり前に仕事に行かなくてはいけなかったし ましてや今日は大事なリーダー会議や、 チームの年度末の評価をフィードバックする面談の予定もあった。 絶対に休むわけにはいかないのに、 どうしても体を起こして活動する気力が起きなかった。 体を起こすと、頭重感と倦怠感に襲われた。 食事も食べたいとも思わなかった。 行かなくちゃと思えば思うほど体が絞めつけられるような感覚で 焦り、涙があふれた。 このまま仕事に行っても、たぶん私は感
2022年、4月13日。私はバーンアウトした。 まだ私がバーンアウトしてから数日しか経過しておらず、 私自身も色んな感情が渦巻いている。 しかし、このリアルタイムな感情は鮮明な今でなければのこせない。 きっと時間が経ってしまえば、この気持ちは薄めくだろう。 ただ、この経験は自分自身のこれからと今後の人生において 何らかのターニングポイントとなると思う。 そのためにもここに記し、また、同じように苦しむ人へ 結果的に私の記したもので、何かしら気付くことや、 少しでも与えられ