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輪止め。それは最強の防具、なんだけどね。【ゴミ収集車の運転席からお送りします】
人は失敗することによって成長する。
ワシだってそうだ。サイドブレーキのワイヤーを盛大に引きちぎった失敗から、安全に対することをけっこうマジメに考えた。そしたらあるじゃないか、最強の防具が。
それは輪止めだ。
ゴミ収集車が勝手に動き出さないよう、タイヤと地面のすき間に挟んで使用するこのナイスな道具があれば、たとえサイドブレーキが引きちぎれようと安全に対応することができる。
どんな急な坂道だって、輪止めさえあればその場で停車することができる。完璧だ。完全勝利な作戦である。
ワシはその最強の防具を引き連れて(まあ標準装備なのだけど)その日も収集現場にハンドルを切った。
向かった先は、けっこうな急な坂にあるゴミ集積所。ゴミ袋が山になっている箇所が3件も4件もある、けっこう忙しいポイントだ。ワシも降りてゴミを積むのを手伝わなければならない。
輪止めを運転席側の前輪の後方に設置。下がらないようにする。
ゴミを一生懸命積むが、後ろで一般車が待っている。まだゴミが積み終わらない。待っている一般車。徐々に徐々に、ゴミ収集車に一般車が距離を詰めてくる
なんというプレッシャーだ。早くゴミ収集車を退かして一般車を通さないと。
すみませーん。ワシはゴミを積み終わるとそくさま運転席に戻り、発進させて一般車が通れるように道の端に寄せた。がぽんっ。
通り過ぎる一般車。ふぅ。さて収集の続きだ。
がぽん。んん?
運転席側の後輪から変な音がする。もしかしてパンクしたか? 道路に落ちていたクギでも踏んづけたのかもしれない。しまったなぁ。気付かなかった。
収集車から降りて確認する。2つ並んで付いているタイヤの空気はぱっつんぱっつんで、パンクした様子はない。首を捻りながら運転席に戻る。収集車を動かすと、やっぱりがぽん、がぽんと音がした。
おかしい。もう一度確認する。黒い三角の物体が、タイヤとタイヤの間に挟まっていた。
輪止めだった。さっきゴミを収集するときに止めたとき、焦って輪止めをしたまんま元に戻すのを忘れて発進してしまった。
坂道を下がらないよう、運転席側の前輪にはめた輪止めは、あとからきた後輪のちょうど真ん中にすっぽりとハマっていた。はわわわどうしよう。
経験したことのない失敗してもうた。
はずそうとしても、人の力ではビクともしない。ならばと収集車に用意してある小型のハンマーで叩いても、まるで動きなし。テコの原理を使ってみても、ハンマーの根元がひん曲がるだけだった。
全身から汗が噴き出る。開いた口が塞がらない。あぁ、この2本のタイヤがミスドのエンゼルフレンチだったらなぁ、挟まっているのは生クリームで柔らかかったのに。こうカパッと、開いてクリームをぱくり。うまい。きっとうまい。エンゼルフレンチを頂いたあとは、どのドーナツを選ぼうか。ポンデリング? あれも収集車のタイヤに似ていなくもない…………はっ!?
現実逃避をしていた。目の前にあるのはドーナツではなく、黒いゴムのタイヤである。ゴミ集積所を掃除しているマダムが、何事かとワシを見ていた。手にはデッキブラシと洗剤、チャーミーグリーンだ…………そうだ!
「すみませんマダム。実はピンチでして」
事情を説明して洗剤を借りる。タイヤに挟まっている輪止めに向けて、洗剤をぶっかけた。
タイヤと輪止めの摩擦を軽減してすぽっと取る。名付けて『ぬめぬめ作戦』である。ほら、泡まみれになったお皿のように、つるんと出てきなさい。ほら、ささっと。
ワシの願いも虚しく輪止めはカチッとハマったままだった。詰んだわ。どーすりゃいいんだろう。
いや、まだだ。まだ光はある。
ワシは会社に電話した。正確には、泣きついていた。
「どした?」
「整備主任っ。やらかしてしまいました!」
「今度はどうしたの」
挟まった輪止めのことを伝える。整備主任の声が次第に真剣になっていった。
「それは外側のタイヤをはずさないと、輪止めは取れないかもしれない。わかった。道具準備するから待ってて」
さすが整備主任。頼りになる。
3カ月点検や収集車の修理とか他の仕事があるのに、ワシがぽかやらかすから余計な仕事増やしちゃって、すみません。
心と現実で100回くらい頭を下げてから、準備を始めた。
マダムに洗剤を返してお礼を言い、合流するコンビニへハンドルを切った。このままこの場所に止まるのは、一般車に迷惑かける場所だったのだ。
アクセルを踏む。がぽん。
速度が上がる。がぽん、がぽん。
20キロくらい出る。がっぽがっぽがっぽ!
輪止めが地面に接触するたびにイヤな音がした。いつ輪止めのせいでタイヤがパンクする恐怖と、低速で進んでいるから後続車が列になっているプレッシャーが全身を包む。すみません。みなさんほんっとうにすみません!
40キロ道路を20キロちょいでしばらく進むと『がぱんっ!』と破裂したような音がした。サイドミラーで確認すると、後ろの道路に三角の黒い物体が落ちていた。まさか。
収集車を止めて、作業員さんが黒い物体を確認しに行く。作業員さんは満面の笑みで黒い物体を掲げていた。
そう、輪止めがはずれたのだ。チャーミーグリーンのぬめぬめ作戦が効果を発動してくれたのだった。
いやったああああああ!
輪止めを回収して狂喜乱舞する。洗剤を貸してくれたマダム、ありがとう。本当にありがとう。あなたのおかげで助かりました。
ワシは安堵した。またこれでひとつ教訓が増えた。輪止めをするときは、後ろだけでなく前もだ。
さて、収集作業に戻ることにしよう。今日もゴミを回収してもらうのを心待ちにしているマダムがいる。ん? なにか忘れている気がする。あ……。
コンビニに停車。急いで来てくれた整備主任に、頭を下げてお出迎えする。
「やや、整備主任。忙しい中ようこそおいでなさいました。とりあえずコーヒーでも」
「そんなことより輪止めが先でしょ。急がないと仕事に支障が」
「あの、えーと、それが……」
さっき輪止めはずれました。と、報告したときの整備主任の顔を、ワシは一生忘れないであろう。ごめんなさーい。
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