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書を愛でる

今日読んた素敵な文章

闇の中をゆく

一九四九年秋の某日。私は下関から東京に向かう夜行列車に乗った。 列車は満員であっ た。座席はすべて埋まり、 洗面所の通路にも三、四人の立ちん坊がいた。車内の明かりは 薄暗く、人々の表情は青黒くくすんでいた。だが、その表情の暗さは、煤煙のせいではな かった。圧し潰された心の闇が、人々の表情を黒く覆っていたのである。

戦後四年の時が経過しているにもかかわらず、人々の生活には、なお明るい見通しが立 っていなかった。それどころか、戦後すぐの妙にあっけらかんとした解放感から冷めて、 人々はいま改めて足元を見つめ直そうとしているかのようだった。人々の暮らしの流れに は、眼に見えない淀みが起こっていた。まるで、流れの悪い水面のように、無数のあぶく がぶくぶくと浮きたっていた。

多分そのとき、私の顔もまた、不安の時代の塵労によって、暗く汚れていたに違いない。

生きることの意味
第2部 激流をゆく
高史明

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