見出し画像

植松美月《転じて》 by 北桂樹

風に揺れる彫刻

 
エアコンの風に煽られて、ワンロール分の「時間」が展示台の上から投げ出され、そのまま風にゆらゆらと身を任せる。

何かの拍子に眼の前の世界が拓けるような感覚を与えてくれる作品に出逢うことが極まれにある。猛暑のはじまりを告げる7月アタマの暑い1日に観た作品はそんな予感を感じさせる作品であった。文京区のコンテンポラリーアートギャラリー「aaploit」 にて7月1日、2日と二日間だけの特別開催となった植松美月の展覧会に足を運んだ。植松は東京藝術大学 美術研究科 彫刻専攻 博士後期課程を修了した。博士展での展示作品《咲きひらいて 吹き下ろす 瞬き》は野村財団がセレクトする野村美術賞に選ばれている。今回の展覧会はその野村美術賞受賞の特別展というカタチで行われたものとなる。

展覧会は入口を入り左手の壁に掛けられたカラフルな蛍光色とラメが特徴的な新作のドローイング3点、正面の90cmほどの高さの展示台に載せられたロール紙のオブジェ作品《転じて》、右側の床に敷かれた80cm四方ほどの板に乗った紙を切断して作られたオブジェ作品《わきたつ》の3種類、計5点の作品による展覧会であった。筆者は東京藝大の博士展展示から植松の作品を観るようになった。2022年12月に行われたこの展示において美術館の2階全体を「紙」という素材を用いた彫刻によって埋め尽くしてみせた展示は圧巻であった。

植松は元々、鉄をメディウム(素材)として用いていたという。そこから「紙」へと軸足を移している。彫刻というカテゴリーの中で植松が「紙」というマテリアルのもつ特徴を活かし、どのように独自性を出しているのかという点について少し触れていきたい。博士展からつづく系譜という意味では《わきたつ》がおそらく植松を代表する作品となるのであろうが、今回は、冒頭で風に揺れる彫刻として描写した《転じて》について書いていく。 

時間の距離と呼吸の反復(リズム)

 《転じて》はレジで使われるロール紙を素材に、染色、刻印をした紙の彫刻作品である。前述した野村美術賞時に展示されたものと同様の作品である。その時は白い展示台の上にロールから引き出されたロール紙が絡み合うような展示がなされていたのだが、aaploitでの展示では白い展示台の上にロール紙に巻きつけられロール状のままの状態で展示がされていた。これが今回一層彼女の作品が「紙」であることの特徴を際立たせ、重要なコンテクストを形成するというように思えた。

《転じて》はロール紙に2つの種類のカウントされた数字がスタンプされている。赤い数字は時間である。「1440(実際には1443まで)」までカウントされているのはこれが「分」を表すもので、「24時間」という時間を示していることが仄めかされている。この「分」を示す赤い数字は巻かれた状態のロール紙のひと巻分によってその距離が決められている。それによって、数字の間隔は等間隔ではなく、数字が上がる(元の状態では内側に入る)につれて徐々にその間隔は短くなる。 

一方、もう一つの黒い数字は数が多く、15000以上の数がカウントされている。こちらは、自身の呼吸のリズム(反復)でスタンプを押した数となっているという。つまり、この二つの数字によって、植松が「24時間で呼吸した数」というものが数字によって可視化、つまり表象されているということになる。短くなる1分の距離の中に呼吸のリズムが詰め込まれていく様は後半になるにつれ息苦しくなっていっていることを示しているようにも見える。このロール紙による彫刻は自身の呼吸によって削り出された彫刻ということが言える。

最終的に、そのロール紙の巻いた状態の両側面を植松の紙の彫刻作品制作の特徴でもある紫色のインクに浸し、浸透圧の差による色の足の速さの違いによって紫色のインクが分解され、特徴的に染め上げ、仕上げられている。 

仮固定「being」としての彫刻

 西洋的な意味で、彫刻とは本来時間軸をもった三次元、つまり四次元空間における物体の時間の流れだけを固定し、石などのマテリアルの持つ硬質性を背景にある種の永遠性というものを担保しようとする人間本意な欲望のようなものの影がつきまとう。

植松の彫刻作品はこの「紙」というマテリアルの柔らかく、弱い点によってこの西洋的な彫刻の領域に揺さぶりをかける。自然世界のものを加工・変化をさせ、固定することで文化的なものとし、芸術としてきた彫刻の領域において、植松が「紙」というマテリアルを選んだことによって「保存/アーカイブ」をはじめとして多くの彫刻的特徴を失っていることは想像に難くない。その一方で、他の彫刻には獲得し得ないコンテンポラリーな特徴を手にしていると考えられる。

アーティストが恣意的にロール紙を形づくっていた野村美術賞の展示よりもaaploitでのロール状での展示はそのことをより際立たせる。このロール状という形は「螺旋」である。「螺旋」という形状は自然世界を構成する最小ユニットでもあり、自然世界は「螺旋」の連続、つまりフラクタル構造によって作られている。変化を自身の作品に取り入れ、文化的なものである作品をふたたび自然の一部へと向かわせたのがロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェッティー》であろう。「螺旋を中心へ向かうことは、私たちの起源と戻ることだ」と語るスミッソンが選んだ《スパイラル・ジェッティー》の形状もまさに「螺旋」である。

呼吸という「反復(ループ)するリズム」が作り出した螺旋構造による《転じて》は野村美術賞の展示とaaploitでの特別展とでは同じ作品でありながら、その形状を別にしている。「紙」であるというその特徴は本来彫刻の特徴である「固定」を放棄し、常に「仮固定」の状態で存在させる。それは、作家の設置時の意思だけではなく、展示環境(展示台の有無、大きさなど)によって変化もするし、外部からの影響(エアコンの風など)によっても変化をする。常に何かになりかけている状態、変容のプロセスの状態であり続けるという特徴を持っている。つまり、「be」としてではなく、「being」として存在し続けている。

日本のキュレーターで、メディアアートの評論家としても知られる四方幸子は、自身の著書『Ecosophic Art エコゾフィックアート−自然・精神・社会をつなぐアート論』の中で、世界を固定化させず、情報の流れとして捉え、固定化された表象ではなく、変化のプロセスとして見ていると述べる。さらに彼女は本書の中で、この「螺旋」について、

螺旋の動きは、台風や竜巻ほど大規模でなくても至る所で起きている。自分の呼吸やふとした動作でも空気が動き、周囲のものに影響を与えていく。蝶の微細な羽ばたきが、遠方に台風を招くというカオス理論のたとえのように、ミクロとマクロのスケールを超えてあらゆるものが、時間と空間を超えてつながっているように感じる。渦潮は、異なる位相の流れ(温度、濃度、速度、方向など)が出会い、絡まり合って生まれるが、その渦が同時にまた別の動きを派生させていく。(中略)螺旋はまた、動的に延長されることで、異なる次元を繋ぐように思われる。一次元から二次元、二次元から三次元、そして……。次元をつなぐこと、つまり反復による持続的な運動のプロセスが、境界を突破しうる。

四方幸子『Ecosophic Art エコゾフィックアート−自然・精神・社会をつなぐアート論』、フィルムアート社、2023年、pp. 138-139 

と述べる。
 
結論や目的、結果だけが求められ、検索やAIによって「答え」だけは何でもしれてしまう現代、人々の思考は次第に0と1に還元され固定されていく。植松の彫刻は、そんな時代に0と1の間に不安定な状態であり続けることの意味と価値を示して見せてくれているように思える。変化し続けることの意味、「being」であることの価値である。それを最も「固定」を特徴とする彫刻で達成しているところが彼女の特異な点と言える。

植松作品の持つ「柔らかさ」という特徴が微細な蝶の羽ばたきとして、硬質な彫刻の世界に変化を与える一つの螺旋を生み出すことを期待してしまう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?