"大丈夫じゃない"って言える環境。
今朝、ドラッグストアで買い物中に
2Lのお茶が2つ入ったカゴを持って
杖で歩いていたおじいちゃんが
突然、よろけて他のお客さんの
カートへ倒れ込んでいった。
慌てて脇の下から身体を支えて
なんとか転ばずには済んだけれど
息があがり、立つのもやっとなのに
「ありがとう。大丈夫やから」と
周囲に迷惑をかけたくない様子で
(目眩がするのか顔を覆いながら)
他のお客様が貸してくれたカートに
もたれて座ろうとするおじいちゃん。
私も昔はよく立ちくらんだり
過呼吸でしゃがみこんでいたので
"とにかく座りたい!"
という気持ちは分かるけど
カートにはストッパーがないので
身を預けるには危険すぎる状況で。
「しんどいし座りたいよね。
でも、カートは動いて危ないから
椅子か何か持ってきてもらいますね」
「私、時間があるので大丈夫ですよ😊」
と、座っているカートを支えながら
他のお客様に店員さんを呼んでもらうことに。
店員さん、とても感じのいい方で
家族のことや体調などを確認しながら
救急車が必要か、タクシーで帰れるかを
ご本人の希望も聞いて話し合いながら
丁寧な対応をして下さったので
その後はお任せすることにして
私は買い物の続きをしていましたが
店員さんが付き添いながら店を出て
タクシーで帰られたようで一安心。
最初は周りの手助けを断って
「大丈夫やから」と言ってたけど
「私は大丈夫ですよ😊」って伝えると
「歩いて帰るの大丈夫じゃないと思う」
って言ってくれたのが嬉しかったです。
実は10年くらい前にも
全く同じシチュエーションで
私の自転車に突然、倒れ込んできた
おじいちゃんを助けたことがあり
今回の件で私自身の捉え方や感覚、
声のかけ方などが少し変わったなと
実感できる不思議な出来事でした。
昔の私は考える余裕も
笑顔で寄り添う余裕もなく
とにかく動いている感じで。
「なんとかしなきゃ!」と
自宅まで送り届けようとして
車に乗ってもらったけれど
認知症でなかなか家がわからず
グルグルした後、警察へ行ったり
車で連れ回してしまったので
もっとスマートな方法で
早く安心させてあげられる
良い方法があっただろうに
おじいちゃん、ごめんね…と
ちょっと凹んだ自分もいて
その後、認知症サポーター養成講座を
受講しに行くキッカケになりました。
そこでいろいろ学んだ中で
特に、私の心に残ったのは
"相手の気持ちに耳を傾ける姿勢"
"相手を不安にさせないこと"
"心に余裕を持って対応すること"
これは認知症だけでなく、子育てや
他のことにも共通すると思います。
私自身もこの5、6年で
良くも悪くもいろんな経験をして
多少のハプニングでは動じなくなり
冷静に思考整理ができるようになって
気づくと緊張や不安によるパニックや
過呼吸を発症しなくなっていたのですが
(歳を重ねた鈍さもあるかもだけど。笑)
自分自身を整えていくための
環境として影響しているのは
自分が辛い時、不安な時に
一緒に悲しんで不安になり
私がため息をついていたら
一緒にため息をついてくれる
"優しさ"から離れたことかなと。
きっかけは
自分が落ちて悩んでいる時に
ため息やマイナスの言葉が
聞こえてくる環境にいると
更に気が落ちて
「このままいくと心が病んで
おかしくなってしまう!」
と、思ったからなのですが
大丈夫じゃなかったけど
大丈夫なフリをしなければ
心配をかけてしまうし
心配し、悲しんでくれる空気が
そのまま自分に返ってくるので
更に不安になって落ちてしまう。
(同調の優しさを否定する訳ではなく
私の性格に合っていなかったという意味)
そんな中、コロナ禍でさえ何もないように
「大丈夫よー😊」と常に笑顔で居て
"今だからできること"を考えたり
在るものに目を向けさせてくれる
強くて優しい人達の存在が支えとなり、
「自分もこんなふうになりたい!」と
意識を変えていくキッカケになりました。
やがて生徒さんや仲間が増え
自分が支える立場になることも多くなり
"共感するけど同調しない"ために
必要となる強さは最強の愛であり、
優しさであることを実感しています。
(共感せず同調もしない人は言葉に
行動が伴わないので違いに気づく)
一緒に悲しみ、心配するのは
目に見える"優しさ"だけど
同調してくれる人だけが優しくて
"相手の気持ちがわかる人"ではない。
私は子供や大切な人達が
病気やトラブル、不安などで
悩んだり悲しんでいる時に
「可哀想🥲」と一緒に悲しむのではなく
「辛いよね。でも私が居るから大丈夫よ😊」
と、笑っていられる人でありたいな。
"コロナが教えてくれたこと"
他にもたくさんあるけれど
これは1番大きな、私の学びです✨️