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しげしげと眺め入る、山里の暮らし

はじめに

 先日、二度目の利用となるおてつたびで山里の暮らしを体験した。行き先は、福岡から遠く離れた土地、飛騨の山里にひっそりとたたずむ種蔵集落。今回お世話になったのが、集落にたったひとつの宿泊施設「板倉の宿 種蔵」を運営する掛川さん。築100年以上の木の香りに包まれたお宿で、耳を澄まし、手で直に触れ、香りをいっぱいに取り込み、ひとくちひとくち咀嚼し、じっくり目を凝らす、、そんな6日間を過ごした。目の前に対峙するものが鮮明に映った時間を、写真に残した美しい種蔵の姿とともにお届けする。

種蔵の眺め


 この地のシンボルといえる板倉は、穀物や農機具、冠婚葬祭の家具類の保管、そして種の保存に使われてきた倉。主屋から少し離れた位置に建てられているのが特徴だ。というのも「主屋は壊しても板倉は守れ。」という言い伝えがあるほど、主屋の火事による延焼や天災に見舞われた際も、人々の暮らしを守る担い手となった。倉の木組みは精巧に組まれ、能登の地震にも耐えうる頑丈さに、先人が積み重ねた知恵を垣間見ることができる。
 そしてこの集落の見どころのもうひとつの景観。それは環境省の「全国かおり風景100選」、岐阜県の「岐阜の棚田21選」に選出された石積みの棚田である。急な傾斜地の土地を棚田として利用し、今も米やそば、エゴマ、名産品のミョウガが収穫されるようだ。雪が絶え間なく降りしきり、板倉とそれを囲む棚田の様子は水墨画で描かれた美しさを想起させる。

棚田の傍に点在する板倉。

遠くを見晴るかす眼、慈しむ心

AM6:30 いただきます 

 さて、ここからは種蔵で流れゆく時間に拾ったい気づきを綴ることにする。種蔵の朝は早い。ウルトラライトダウンにコートを重ね、朝餉の準備に取り掛かる。凍りそうな手で玄米を研ぎ、蒸し器には色とりどりの野菜を、そして飛騨の味噌を漉し、今か今かと米の炊ける瞬間を待つ。食事の提供を終えたら、我々のごはんの時間だ。
 合掌した次の瞬間には野菜を口に運び、ぎゅっと詰まった甘味、うまみをいっぱいに噛みしめる。宿の朝食は、蒸し野菜にサラダ、だし巻き卵、味噌汁、玄米のお赤飯などのシンプルなもので、善い一日が始まりそうな予感がする。こうして、毎食手づくりのご飯を味わう時間が何よりの愉しみだった。福岡へ帰ってからのこと、蒸し野菜朝食ばかり作る私に家族一同驚きの様子だった。

玄関からの眺め。引き戸の手前を開閉するとあまりの寒さに身体がびっくりする。

AM10:00 小さな住人 

 朝食の後片付けを終えると、ゲストをお見送りし、お宿の清掃に取り掛かる。ひのき風呂の掃除に床掃き、せっせとシーツや浴衣を運ぶ合間、窓の外に目をやって一呼吸するようにしていた。部屋に入り込む空気を肺へいっぱいに送り込み、清々しい気持ちで再び作業にもどる。
 業務の清掃にはいくつかの発見が転がっていた。この宿には、掛川さんとわたし、そして小さな住人がいる。その住人の正体は、雪国のイメージからは疎遠な存在にも思えるカメムシ。床を掃いていると時折見かけた。人やストーブで暖められた部屋を冬が明けたのか、と勘違いし出没するのだそう。可愛らしい理由だが、部屋にいられると落ち着かないし、最初はかれらの足音におびえた。この小話はほんの、ほんの小さな例にすぎないが、掃除や不快さのために足元の命を奪っていいのだろうかと立ち止まるきっかけとなった。

毎日積もり続ける雪が層を成す。


 どこかのおとなたちは、まるでここに生きる主人公は我々人間だと言わんばかりに、開拓・改築、都市の発展をずんずん進めていく。わたしたちの生活の営みのなかに、「小さな住人」を含む数多の生命の行方は眼中にあるだろうか。「わたし」、「わたしたち」もそれに加担していることに無自覚ではいられない。そういう意味では、自然を享受することを直に感じられる種蔵の暮らしは、自然の営みのなかに「わたしたち」が住まわせてもらう、そんな気持ちになる。食事は、地元の野菜をふんだんに使用した穀物菜食が中心、肉類は提供しないので洗浄力の強い洗剤を使わずに済む。住む環境が変わっても、自然な営みへ歩み寄るヒントがたくさん散りばめられていたはずだ。やわらかな見方を得たとき、ここは人間の住むところ、そしてそれ以外は、、と二項対立を選ばない可能性も見えてきそう。

到着した翌朝、この光景を前にコタツから抜け出し、縁側へと足早に向かった。

PM 3:00 今ひつような眺め 

 ゲストが宿へ到着後、掛川さんによる集落案内に同行させてもらった。先ほど紹介した石積み造りの棚田を横目に、坂を上って集落を一望したり、下って見上げたりしてみる。小高い丘の上に立ったときには、風景のなかに「わたし」が溶け込んでいくような心地になった。長田弘の『なつかしい時間』に登場する「開かれた空間のなかに身をおく態度」というのは、なるほどこうしている時間なのかもしれない、なんて考えながら眺め入る。

寝床から抜け出し縁側に出る。煙草に火をつけ、うらうらとした陽ざしの中へゆっくりと煙を上げる。激しい勢で若葉を噴き出している庭前の木や草を、しげしげと眺める。「俺は、今生きて、ここに、こうしている」こういう思いが、これ以上を求め得ぬ幸福感となって胸をしめつけるのだ。心につながるもの、目につながるものの一切が、しめやかな、しかし断ちがたい愛惜の対象となるのもこういう時だ。

尾崎一雄『美しい墓地からの眺め』(1998、岩波文庫ほか)

 今日の技術の時代は「クローズアップしてモノを見る」習慣を人々にもたらしたと思う。現地に足を運ばなくても写真や動画を見ればある程度の想像はつくし、細部と全体を同時に見渡せる。例えば、ストリートビューやVRなんかは、あたかもそこにいるかのような実感が湧く。しかし、屋外にいても向き合っているのは所詮目の前の小さな画面ひとつだ。鼻がツンとなりながら吸う冷たい空気も、微々たる変化を愛でる愉しみも、漂う土や植物の香りも霞んでしまう。だからこそ、尾崎一雄前掲文の「俺は、今生きて、ここに、こうしている」という自覚のひとつひとつが、人の記憶のなかに長く留まるものではないかと思う。わたしひとりで、或いは大切なひとたちとともに、生きられた風景の記憶をいくつこれから指折りできるだろう。

どんなに眺めていても、時間とともに変わりゆく姿に飽きなんて存在しなかった。

箸休め ひとのぬくもり、ひとのまなざし

 15時すぎ。そば打ち体験がはじまる前の束の間の休憩時間。
こつこつと階段を人が上る音。そしてドアをたたく音。
「はい。今開けます。」
と二返事で扉から顔を覗かせる。すると目の前に立つ掛川さんは
「おやつを持ってきたよ。どうぞ。」
と水筒に入ったクロモジ茶と、和菓子を運びにきてくれた。
(クロモジはお茶や香料に生まれ変わる香りの良い木。お土産に渡してくださったので、こちらでも人を迎えたときの愉しみができた。)こうして滞在していたあいだ、私のもとへおやつを運びに来てくれる掛川さんのやさしさに何度も、何度も触れた。
 滞在5日目は街へ連れ出してくださり、美味しいイタリアンをご馳走してもらったり、飛騨の街並みを散策したりした。私の要望で直売所や酒屋などを巡り、その都度掛川さんは宿のパンフレットとマグネットを配り歩いた。掛川さんから滲み出る優しさを反射するかのように、出会う人々は朗らかで、遠くから来た私も受け入れてくれた気がした。曇りか雪の日が多い滞在だったが、晴れやかな気持ちにしてくれた記憶の残る飛騨の街や種蔵をまた訪れたいと思う。

何度も足を止めては、写真に残したいと強く思う衝動に駆られた。

PM 7:00 ともに生きること

 種蔵での夕食(宿泊者向け)は囲炉裏を囲むスタイル。飛騨産の野菜中心の食材で、川魚のイワナや天ぷら、種蔵産のミョウガの甘酢漬け、手打ちのお蕎麦などを提供する。二日目には、スペインから来たカップルと食事を摂り、素晴らしい時間を過ごした。様々な話を交わしたなかで、よく話題に登場したのは「真の意味でのdiversity」について、「共生」に繋がる話だった。
 少し前の文章で触れた「小さな住人」カメムシは、私を脅かす存在として登場した。移住環境が変えられては困る私は行動に移した。しかしよくよく考えてみると、同じ屋根の下に暮らす住人である。その「小さな住人」が他者であるとき、自分の生まれ育った世界とは違う世界で、異なる価値観を持ち合わせているかもしれない。AとBの境界線を引いて、差異を強調させたり、排除するのではない。相互の交わりのなかに変化する「わたし」の姿を愉しみ、面白がる姿勢があれば、差異を新たな可能性として受け入れられるんじゃないか。

「板倉の宿 種蔵」の掛川さんと、Ale & Anton カップル


さいごに


 最後に、この場を借りて掛川さんへお礼の言葉を。清掃や調理などの業務以外にも、種蔵の暮らしのこと、掛川さんのこと、たくさん教えていただきありがとうございました。くず粉のプリンや山菜の天ぷら、エゴマの手作りドレッシング、どれも本当においしく、家族に振る舞えるくらいになりました。田んぼのあぜ道で拾ったふきのとうと、菊芋の天ぷらは忘れられない味です。
 掛川さんと紡ぐ会話というのは、私がポンと遠く投げた球を「こっちだよ。」と遠くで迎え、拾ってくれる場所にいてくれるような、そんな関係だったように思います。掛川さんの優しいまなざしでわたしを受け入れてくださったこと、感謝の気持ちでいっぱいです。

宿の前で記念撮影。


では、長い文章をご精読ありがとうございました!

千歌

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