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2006_横浜のお嬢様_part3.../ 3.幼稚園の敷地問題

登場人物(2006年時点)
幸田麗華  横浜市議、幸田商事 社会福祉LPF社長 1976年(30歳)
幸田耕一  KGC建設 社長             1970年(36歳)
江戸かす美 幸田美術館 準備室長         1968年(38歳)
角田 美香 美術キュレーター 準備室長      1972年(34歳)
木名瀬 愛 日仏食品DM 麗華と愛人関係        1980年(25歳)
幸田大介 輸入商事 会長              1940年(63歳)
岸野友一 KGC建設 建設部長            1971年(25歳)
高橋 直美 KGC建設設計部長 耕一と愛人関係    1970年(36歳)
大田 直美 幼稚園 副園長            1970年(33歳)

今日は、会長の大介、江戸社長、耕一の3人で横浜市役所の市長室に来ている。
麗華は市議という立場から、利益相反になるので、この陳情には、同席しなかった。

市長に幼稚園の用地確保で直談判に来ていた。

市長の横には、助役と建設部長も同席している。

市長「今日は、皆さんお揃いで、例の話でしょうか...」

大介「そうなんです。来年春には開園したいので、お願いに来ました...」

市長「ああ、大丈夫ですよ。話は通してありますから、後で建設部長と細かい話は、してください」

大介「そうですか、ありがとうございます。あと何点かあるのですが、近いうちにまた。そのうち、遊びに来て下さい。家内も待っておりますので...」

市長「あはは、幸田家の家庭料理は、昔から大好物でしてね...」

大介「ええ、フランス料理とヴェトナム料理もミックスしてますからね...」
と、友好的な雰囲気で敷地の話は片付いた。

麗華も耕一も感慨無量である。最後は大介の出番となったが、難航した敷地は、みなとみらい駅の東口の近くにあった市有地を、市長に嘆願し、30年の借用で確保した。

このみなとみらい地区に幼稚園がまだ無かったことも幸いし、駅から徒歩3分の利便性もあり、入園募集を開始すると、2ヶ月で定員に達した。

だが、建設工事期間は、難航した。

昨年の9月に着工し、2007年2月末に完成した。

工事は幸田グループの建設会社KGC建設が担当した。

設計も同じく設計部が監理も含め担当した。実は、これが初の受注物件かつ初引き渡し案件となった。

工期の少ない、タイトな現場で担当した岸野部長にとってはハードな初仕事となった。

問題は、用地の確保が遅れたのが原因で、後に幸田グループで不動産会社を設立する遠因にもなった。

ここで、話は用地確保問題が顕著化した昨年6月に遡る。

麗華は、一向に進まない用地問題の件で、KGC建設の耕一の所へ、理事長の愛子と副園長を同伴した。

その時、耕一と設計部長の高橋直美との唯ならぬ雰囲気に気づいたが、愛子達にはそれと悟られ無いように、耕一を社長室へ引き込み一言。

麗華「設計部長のことは、今晩聞かせて。問題は、幼稚園の用地確保なんだけど、二人を呼ぶわよ...」
と愛子達を部屋に呼んで、策を話し始めた。

みなとみらい駅の東に、教育用地として市が確保している土地の一部を、市から借用出来ないかと。

市役所の教育課長には、話をしたが、やはり市長の決裁が必要なので、会長の大介から話をして貰うことになった。

その甲斐も有り、1ヶ月後、市と借用契約を交わし、前より設計を進めていた計画案を実施設計に進め、確認申請をした。夏休み後の9月に着工した。

その晩、自宅の寝室で。

麗華「着工して、ホッとしたわ...」

耕一「後は、岸野と頑張るよ...任せてくれ...」

麗華「ところで、あれから高橋さんとは、綺麗な関係でいるわよね...」

返す刀で、痛いところを突かれた耕一は、一瞬たじろいだが、動揺も厚顔の裏に隠し「当たり前だろう、今は仕事オンリーですよ...大体、そんな余裕なんてありませんよ...」

麗華「あら、余裕があれば、またするのね...」

耕一「いえいえ、れーちゃんオンリーですよ...」と麗華のうなじに舌を這わせて来た。

一瞬驚いた麗華は、迷ったが、久しぶりだし、ここで拒否して、耕一を欲求不満にしても不味いので、それに応えた。

麗華はまだ30歳、女盛りである。その晩は、久し振りに延長戦もあったが、問題はその後であった。

それが、2006年6月の出来事だった。

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