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書きたいだけ書くnote日記 2022/04/15

普通出来た普通でない普通の弁当、寄り弁の短歌、お蕎麦美味い、創作の真理、など。

2022/04/15 寄り弁は学生の縁語で

 ふと目が覚めて時間を見るとまだ5時台半ば。薄暗いものの、暁闇よりはもう十分に明けたと言える明るさ。もう一度寝て6時10分起床。外では常には聞こえない鳥の声がする。それはまるで森の中にいるような響き。山や森でそういう囀りを聞いて、これはここだから響いて聞こえるのだと思っていたけれどそうではなく、その鳥そのものの声の特徴なのだ。遠く深く響き渡る。それにしても、街も街、地域の中に自然らしいところもないこのあたりにそんな声を持つ鳥がいることが不思議。

 弁当作り3日目。毎日作るということに関しては初心者なので、まだ構えてしまうものの、起きる時間を少し遅くしてみてもちゃんと間に合うし、朝食のおかずも子が起きてくるまでに余裕を持って作れた。

 時間的には「普通」に間に合うし、内容も「普通」だと思うけど、詰めるのは「普通」にならないように頑張った。

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 今流行のドーム型弁当箱。蓋がとても高いのだ。おかずの下はみっしりとごはん。やや小ぶりなこれにギュンギュンに詰め込んでよりコンパクトにしつつ、寄り弁を防ぐ作戦。

まあ寄り弁もロマンある。寄るほど揺らして持っていく層を考えたら学生の縁語でもいいんじゃない? と思うほどの。

寄り弁といえばこの短歌。

寄り弁をやさしく直す箸 きみは何でもできるのにここにいる
雪舟えま 『たんぽるぽる』2011年

 イメージはそれなりに飛躍しているというのに切れすぎず、牧歌的でとても好きな歌。愛が溢れてる、と思い、愛とは何だろ、とも思う。寄り弁を詠んだ短歌はきっと、これだけだ。

 1日目は足りないと言われ、2日目はちょうどいいけどまだ本調子じゃないからわからないとのことで、今日は器込みで580グラム。かなり増やした。これまでで一番持ち重りがした。

 気になって、男子高校生のお弁当の正しい量について調べてみた。それに寄ると、900mlぐらいの弁当箱が適正であるという。今日は580グラム。実際の重さと容量は別物だろう。900の弁当箱にどう詰めて、何グラムになるのか。全く想像がつかず、帰宅した息子1の感想で決めようと思う。
 高校時代、私の弁当は祖母がギチギチに詰めてくれてご飯は1合。赤で小さく可愛らしくも実は強力なパッキンと留め具のついた代物で、盛りに盛ったご飯部分にフタの上から体重をかけてやっとのこと閉めていたもの。息子1のものより絶対に高校時代の私の弁当の方が重い。

 オットが久しぶりに平日休みなので、昼に美味しいものが食べたい、と言う。話し合った結果、蕎麦に決定。

 私はずっと食べたくて、食べれなかった期間限定の「鶏餅せいろ」を。見出し画像のもの。寒い間だけだと思っていたけどまだあった。

 冷たいお蕎麦を熱い具入りつゆにつけて食べるなんて。熱い冷たいでもうどこまでも行ける心地。最高。家で作る時の配合に毎度悩むので、味を舌に焼き付ける。美味しゅうございました。

 いろいろとぼんやりしていたら晩飯がすっかり遅くなってしまった。晩飯はハヤシライスと野菜多めのマカロニサラダ。待てない体質を自認しているのに茹で時間9分のマカロニを買うという失態を犯したものの、早茹でではない従来のものは美味い。たまには急くのもほどほどに、と思う。
 Mステを見つつ食べつつ、息子1と音楽談義。息子1の今の一押しはSaucy DogとMrs. GREEN APPLE。ほーほーと聞きつつ、お互いが今のところあまり良いと思っていないアーティストのどこが嫌でダメなのか、話し合う。一押しはそう一致しないのに好きではないものはばっちり一致するから面白いもの。
 結局、息子1は既視感、私は挿げ替え可能感。どこかで聞いたようなフレーズや、他の歌いそうなアーティストの顔がいくつも浮かぶものはあまりいいと思えない、という結論になった。
 話しつつ、これは歌の世界、音楽の世界だけの話なのかな、と思う。私としては、これは創作するもの全てに言える真理だと思っている。色んな考え方があっていいけれど、究極はこれだ。でも私が名乗って浸っている世界はどうもその辺の手触りが違うんだよな、と思っていたら食事の手が止まっていて、家族に不審がられた。

 弁当、今日のは少し多かった、とのことだった。しばらくはこれぐらいの分量で行く。

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