デザインとデコレーション
日本でデザインと言うと、デコレーションというニュアンスが強く出てしまっている感がある。
本来デザインの語源はラテン語のdesignareに由来する。signという語が含まれているように、デザインとは概念や体験を記号化することなのであり、あえてそれに対応する日本語を選ぶなら、設計という言葉がうまく当てはまるのではないかと考える。
例えば建築における設計とは、諸条件を鑑みて問題を体系化し、記号化した状態から空間としてその解を具現化する行為と言っていい。
建築家は周辺環境や施主の要望に加え、予算そして法律にも配慮する必要があり、彼らはそれら全てをふまえ、最適解を導き出す人たちと言えるだろう。
そんな建築を生業にした人の言葉を一つ紹介する。
形態は機能に従う
これは近代建築史にも名を残すルイス・サリバンによる言葉であり、イデア化された理想的状況であるということに断りを入れつつも、これはデザインの本質を表しているのではないだろうか。
ここでの機能は建築における諸問題の解にあたるとみなしてよい。
機能と表象は密接に結びつき、建築のデザインはその機能を最大限に発揮するためにあるべきで、全ては説明可能でなければならない、ということである。
この言葉が生まれた後、建築史において機能主義ともいえるモダニズムが謳歌する。
機能的であること=美しい
このような図式が続く中、この機能主義一辺倒の時代に終わりを告げるかのごとく、ポストモダニズムが隆盛する。
そんな中、ポストモダニズムの旗手ロバート・ヴェンチューリは欲望の都市ラスベガスの景観から次のような言葉を生み出した。
ダック
デコレイテッド・シェッド
これらは、諸問題の解として導き出された建築デザインではなく、機能そのものを視覚的かつ直接的に表現する建築デザインを指す。
ダックは象徴的形態が機能そのものを覆い隠している状態のことであり、デコレイテッド・シェッドは機能と表象が分離し、表象が機能と無関係に取り付けられていることを意味している。
この言葉はそのような建築を揶揄するのではなく、資本主義的状況においてむしろ賞賛に近い形で用いられるのであるが、ここで本題のデザインとデコレーションの関係に結びつく。
デコレイテッド・シェッドが機能と表象が分離している状態を指すならば、ダックは表象が機能そのものを歪めてしまっている状態であると言える。
デコレイテッド・シェッドをさらに推し進めたものがダックであると仮定すると、これらはデコレーションによる建築デザインと一つにまとめることが可能になる。
これらをまとめると、以下のように図式化することが可能になる。
デザイン
機能=表象
デコレーション
機能≠表象
おしゃれな空間を作ること
かわいいイラストを作ること
かっこいいアプリを作ること
これらは視覚に囚われた、表象のみに着目したデコレーションの範疇に過ぎない。
ポストモダニズムは元々、モダニズムを転覆させるために視覚表現を利用することでいわば錯覚としてその正当性を主張したとも言うことができるが、デコレーションがデザインである、というのも美そのものが優れた体験を創出するという錯覚から生じてしまう。
デザインは物事の根源まで問いかけることにより、五感全てに訴えかけ優れた体験を創出する行為である。
建築家が諸条件を鑑みて問題を体系化し、その解を空間として具現化するのと同じように。
プロダクトが提供する機能を徹底的に見つめ直し、利用者のみならず開発者、時には広告主にとっても最適な形で体験そのものを設計し、人々に提供することがデザインなのである。
視野を広げ諸問題を整理する、それがデザインへの一歩であり、最初の問題設定がずれていてはいくら時間をかけても最適解には辿り着かない。
機械学習や深層学習において、目的関数時代が間違っているといくらイテレーションを重ねても解に収束しないように。
手元にある諸問題をクリアにし、最適な形でソリューションを設計し提案すること。
それこそが、デザイナーが字義として果たさなければならない職務である。
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