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倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙@京都国立現代美術館

確かに、倉俣史郎の『硝子の椅子』は、 「座っても大丈夫なものか」 「割れやしないか」 「座りやすいのか」 「そもそも椅子なのか」 などと、見るものに何らかの感情を抱かせる。 ガラスという材質もそうだが、直線的で直角的なラインという形状からしても、むやみに人を寄せ付けようとはしない緊張感があるため、その距離感をもって、人間はオブジェと自然と対峙せざるを得ない。 デザインというのは、人間をある目的に向けて誘導させる意味合いが強い。最近読んだアルトゥーロ・エスコバルの『多元世界に向

    • 「早春」を見て・・・|小津安二郎はフェミニストなのか?

      浮気相手である金魚を、男たちが取り囲んで非難する様子は見ていて二重に痛々しい。金魚(このあだ名の由来もとんでもないのだが)にとってもはやいじめに近く、状況的にも男ばかりの部屋で紅一点が散々な言われようをされるのはもう異様である。そういう意味で痛く、そしてそんな雑言を我が物顔で言える男たちのイタさもある。男たちが「セルフエグザミネーション」とこれ見よがしに英語を用いて反省が足りないと金魚を非難していたが、男尊女卑の社会でもとから下駄を履かされた状態の男が、さらにマウントを取るよ

      • 「石岡瑛子 デザインはサバイブできるか」ビジョンではないメッセージ

        「石岡瑛子 デザインはサバイブできるか」を見てきた。出鼻から感じたのは、各ビジュアルの顔圧の強さだった。思えば、顔(表情)は一番の人間の表現手段であって、それは原始的なものでもある。それを踏まえて、「あゝ原点」というキャッチコピーをつけた・・・のではもちろんないだろうが、少なくともふつふつとした熱量だけは確かに見るもの皆に届かせる気がした。ただ、目(≒表情)は口ほどにものを言うといわれるにせよ、ビジュアルだけを見ただけでは-またセットとなるキャッチコピーを読んでもなお-釈

        • メルカリの不思議さ、定点化するインターネット

          メルカリで4000円で緑色のソファを買った。スマホの液晶上に写っていたソファが今自分の家にあるというのは何か違和感がある。スマホの向こうの世界には、自分の家の中とは断絶しているように見えたけど、それが今接続しているのだ。そのソファ、一点だけが、この家の中でどこでもドアのような時空の歪みとして、どこかにつながっているようにさえ思える。そもそも受け渡しにしたって、大阪のおしゃれなエリアの中心地のレトロなマンションの下でソファが置かれその近くに携帯をいじっている見ず知らずの男性が座

        • 倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙@京都国立現代美術館

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          アントニオーニの『夜』が愛の不毛三部作に数えられる理由について

          鏡像はアントニオーニ作品によく登場する手法らしいが、本作ではオープニングから、ビルの窓の鏡面を用いてミラノの街を映す。これを見ただけでは、どうしてこのような撮り方をしたか分からず、ただただ純粋に美しい映像としか見えない。しかし、これがどういう効果をもたらそうとしていたのかは、後になって知ることになる。 ジョヴァンニとリディアの関係は冷え切っている。基本的に二人の視線が交わることがない。黒人がレストランでパフォーマンスを行なっている時も、二人は全く違う方向を向いているか(ジョ

          アントニオーニの『夜』が愛の不毛三部作に数えられる理由について

          『寝ても覚めても』のラストシーンの応答となった『ドライブ・マイ・カー』

          音の浮気現場に遭遇しても、介入することなく気配を押し殺すようにそっとドアを閉める家福。その後タバコに火をつけようとするがなかなかつかない様子、そして成田空港のホテルの一室でタバコの吸い殻が溜まっている様子からは、音の不貞に動揺を隠せないでいることがありありと分かる。しかし、その成田のホテルで、音からテレビ電話がかかってくると、吸っていたタバコをすぐさま消し、何食わぬ顔で話す。動揺を表に出さない。自分がまだ日本にいる事実も隠す。 家福は、不貞の事実を知っていることを、音に匂わせ

          『寝ても覚めても』のラストシーンの応答となった『ドライブ・マイ・カー』

          上高地紀行

          トンネルを抜けると、それまでの木々の雰囲気の違いから直感的に「上高地に着いた」とすぐ気づいた。 しばらくするとその直感を裏付けるように、残雪をまとう穂高連峰の姿が見えてきた。練乳をかけたチョコアイスのようだった。4年半ぶりだ。上高地バスターミナルで降りると、さすがに冷えているなと感じた。松本市街地の日中の気温は、関西と変わらないくらいの陽気だったが、陽も傾き始める時間だったのもあって、中綿のジャケットを羽織った。 中日新聞上高地支局の建物を横目に、ここで上高地の天気と動植

          上高地紀行