倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙@京都国立現代美術館
確かに、倉俣史郎の『硝子の椅子』は、
「座っても大丈夫なものか」
「割れやしないか」
「座りやすいのか」
「そもそも椅子なのか」
などと、見るものに何らかの感情を抱かせる。
ガラスという材質もそうだが、直線的で直角的なラインという形状からしても、むやみに人を寄せ付けようとはしない緊張感があるため、その距離感をもって、人間はオブジェと自然と対峙せざるを得ない。
デザインというのは、人間をある目的に向けて誘導させる意味合いが強い。最近読んだアルトゥーロ・エスコバルの『多元世界に向