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9/11あの日私に起きた事②


2001年9月11日
~あの日、バンクーバーで~  その2

焦る足取りは自然と速くなり私と友人はかなり足早に、だが無言のまま、エアカナダのカウンターに到着した。

そんな風に意気込んでオフィス入ってみたものの意外と人は少なく、カウンター席には5.6人の客がまばらに座っているだけであった。

少し頭の薄いちょびヒゲのおじさんが私たちにこちらに来いと手招きしている。

ドキドキする胸を押さえながらおじさんにチケットを手渡すと、彼はあっさり「今日のフライトは無理だね。」と言った。
NYの空港に行く予定だった沢山の飛行機がバンクーバーの空港に来ていて、滑走路が空かないというのだ!

胸に抱いていた不安が現実になるのを感じながら「ではいつ飛ぶの?」と尋ねると、今はわからないと言う。
明日飛ぶかもしれないし、飛ばないかもしれないと言うのだ。

私たちは、一旦考えを整理することにした。

とにかく、今日飛ばないと言うことがはっきりした今は、席が埋まらないうちにチケットチェンジをしてもらうべきだ!と思い至る。

おじさんにチケットチェンジを申し出ると「仕方ないからね…君らは物わかりが良くて助かるよ。」と言ったような言わないような(聞き取れた言葉がそう聞こえた)曖昧な笑いを浮かべ、おじさんはキーボードを叩き始めた。

一体いつのチケットになるのか、これからどうなってしまうのか…キーボードを叩くカチカチとした無機質な音が、私たちの不安をことさら高める。
おじさんが無言のままチケットにシールを貼りそこに何やら書き込み始めた。

私と友達が身を乗り出してカウンターの奥のチケットを覗き込むと、おじさんはスラスラっと9月13日13時30分と書いた。

「やった明日だ。助かった!」(バンクーバーとニューヨークは時差があるため、テロが起きたのはバンクーバー時間で深夜。ニュースを知ったのは翌9月12日だった)

友達と私は顔を見合わせほっと安心し、ようやく笑った。

「良かった!明日までなら心配ない。今から連絡すればホテルの部屋は押さえて貰えるし、お金もそれぐらいならクレジットカードで何とかなる。」

キリキリした不安な状態からやっと解放されて一息つけた。本当に助かった!

「それじゃあね!」とおじさんにチケットを手渡されカウンターを出ると、その足で同じビルのJCBプラザに向かった。

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ビルの5階にあるJCBプラザに入るとそこには既に1人日本人がいて、お姉さんに話を聞いていた。

私たちも「先ほど電話したものですが」と状況を説明。
「事件の詳しい情報をください」とお願いすると、JCBプラザのお姉さんは快く引き受けてくれた。

優しい笑顔で「インターネットの情報をプリントアウトしてきますのでお座りになってお待ちください。」とソファーを進められお茶をご馳走になる。
日本語が聞こえる部屋で飲む日本茶の味…本当に美味しく、そして有り難かった。

「日本は大丈夫なのか」
「ニュースではテロと言っていたようだが、一体どこの国がこんな大それたことをやらかしたのか?」

疑問は次々と浮かんできたが、どれもこれから情報を仕入れるしかない。

「どうしてよりによって今日…」と言う問いかが浮かんでは消えていく。
5分ほどして、お姉さんが数枚の紙を手にバックヤードから戻ってきた。

「今のところまだあまり詳しくは載っていないようなのですが…。」と手渡された紙には"パレスチナ人によるテロの可能性"という言葉があった。だが、パレスチナ本国では否定しているともある。

またあのビルは爆破ではなく飛行機、それも民間機が二機がハイジャックされ突っ込んだとあるではないか!!

「…一体どれだけの犠牲者が出たんだろう。ニューヨークにいる歌の恩師や舞台仲間は大丈夫なのか?

NYのアップタウンにいる恩師はおそらく大丈夫だが、劇団四季時代の友人はダンスの勉強するためにダウンタウンに行ったとも聞いている。

心配だ…でも、今はまだ自宅にも連絡できていない…。どうしよう…」

(現地時間で午前10時前、日本時間では真夜中なのでさすがに電話連絡はできなかった。)

JCBのお姉さんにお礼を言ってビルを出て、そのまま宿を取るためにホテルに戻る。

チケットと詳しい情報を手に入れ気持ち的には少し軽くなったが、それでもホテルに戻る足取りは重く…なんだかやけに疲れて身体が重かった。

友人も私も、そのまま
ホテルまでほぼ無言だった。

つづく

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