今ここから
いつからだろう。
自分の家が「普通」ではないと気づいたのは。
幼い頃、母は気づいたらフラフラしていた。
父は悲しそうな顔をしていた。
母親はアルコール依存で父親は共依存だったんだと思う。
3人姉妹で家は2DKの古い団地。
欲しいものを欲しい時に買ってもらえることはなかったけど
誕生日とクリスマスにはプレゼントがあった。
ケーキも食べたし、その日は食べたいものを食べさせてくれた。
寂しくて、我慢することも多かったけど
何かあるたびに駆けつけてくれる大人がいた。
それが私の普通だった。
施設に入ってても、別に不自由を感じたことはなかった。
小学生の低学年の頃は、貧富の差なんて気にしたことがなかった。
団地暮らしの人が多い地域だった。
1学年に1クラスしかない小学校で
みんなの仲が良かった。
一軒家と団地の違いもわからずに
一軒家に住んでいる同級生はみんな
お金持ちだと思っていた。
大人になって、子どもを産んで
子どもが小学校に上がり
子どものクラスメイトやその親を見る機会が増えた。
明らかに、手のかけられていない子。
そんな子に目が行くようになった。
今、私の子はそんなことなんてきっと考えていない。
他の家の子の経済事情や、家庭事情なんて
気にしたことがないと思う。
私はいつから気づいたんだっけ。
幸い、私の周りはそんなことで
私を除け者にしようとする人はいなかった。
でも、色々なところで嫌でも気付くようになる。
「あぁ、私の家って貧乏だったんだな」って。
「うちにそんなお金ないよ!!!」
って言われて育ってきた。
それが事実なんて考えたこともなかったけど。
その事実を目の当たりにした時
得体の知れない負い目に苛まれるようになった。
将来、こんな生活はしたくない。
子どもに、あの頃の思いをさせてはいけない。
お金ばかりを追いかけるようになった。
今でもあの頃のように、貧富の差はある。
きっとこれからも、ずっとある。
特に今のご時世、子育て世帯は生きにくい
と感じることも多い。
スーパーに行けば、なんでも物価高で値上げ。
おむつも、ミルクも、教育費も…
なんでも数年前に比べたら格段に高くなっている。
一個人の私にできることは何もないのかも知れない。
でも、誰かが声をあげないと何も変わらない。
諦めたら、偉い人のいいような世の中にしかならない。
こんな小さい私だけど、小さいからこそ
できる何かがあると信じている。
だから、私はここから声をあげ続ける。