現実君と期待君のはなし
ジンドブリ!
賃貸アパートは絶対に東向き窓のついている場所でないともう借りたくありません。
さて、今日も1日が始まり、1日が終わってゆきます。
イチゴを食べていても、みかんを食べていても、必ず1日は終わってゆきます。
そしてそれを365回続けると一年は終わってゆきます。
その一年を、あと何回続けられるんだろうか。。
そう考えると、
今日の一日の中で、「もっとやれたんじゃないのか」
という自分が現れます。
もっとやれたんじゃないか。
何を行うにしても、こいつが現れると、後味悪いです。
でも、「もっとやれたんじゃないか」君のおかげで、また動き出すことができます。#長いので期待君とする
もっとやれたんじゃないかと考えるということは、自分を信じている。ということだと思います。
自分に期待しまくっている。
だからこそ、「もっとやれたやろ、お前」ってなる。
自分の中にいる、期待君、と現実君のかみ合わせがうまくいっていない。
22年自分を生きてきて、まだ自分という本物の価値を見定めることができていない。
逆に言えば、まっだまだやれるぞと、つねに言い聞かせてくれる超ポジティブで、自信家の期待君が自分の中にたくさん存在している。
これから先、本物の自分の姿が、現実君の姿になるのか、期待君の姿になるのか、
楽しみです。
僕はどちらでもいいですが、とにかく期待しています。
ばひひーーーー。