2022年5月18日のこと 読書会、方言、涙活、優しくありたい
世界の片隅からこんにちは!
日曜日、早起きして久しぶりの対面での読書会に参加した。
東京時代は、どこもかしこも読書会や哲学カフェなどの対話の場はあったけれど、地方だとなかなか見つけられない。それでも、ネットで探しまくり、茨城でも面白い活動をしているひとを探し、その中で、やっと読書会を見つけることができたんだ。
前回は、コロナ感染症拡大に伴い、中止になってしまったので、数ヶ月ぶりの対面でのイベント参加になる。ひととひととが直接会って話すのって収穫が多いな、と改めて感じた。
もちろん、オンラインでの集まりもいいけれど、オンラインだとどうしても会話の遊びの部分が弱くなる。ダイレクトに本題に入ってしまうから、初対面のひととの雑談には及びにくい。対面はもっと自由だし、なんなら、隣のひととだけ話したり、全体で話したりと、いろんなスイッチが瞬時に無意識に切り替えられて楽ちん。
話題になったこと。方言のはなしが面白かった。大阪出身の参加者の方が、本を読むときに小説の文章の標準語を大阪弁に自動変換して読んでいる、と言っていた。英語を読んだり話したりするときに、頭の中で日本語に自動変換するのと同じことか。
川上未映子さんの小説の話から、そんな話題に膨らんだと思うけど、方言入り小説で多いのは、大阪弁なんじゃないか、という話になった。田辺聖子さんしかり、他の県の方言入りの小説はなかなか出てこなかった。
わたしは、広島弁が好きで、井上ひさしさんの「父と暮らせば」(戯曲)が世界で一番好きな文学作品なのだけれど、芝居で実際に役者が演じるセリフを聞くと、音楽のような耳心地の良さを感じる。そして、こんなに美しくて優しい言葉を話すひとたちの下へリトルボーイが落とされたのかと思うと、より辛くなり胸が潰れる。「この世界の片隅に」も広島弁が出てきた。広島でも、地域によって微妙に話し方は違うらしい。
標準語で書かれた小説でも、音にするとイントネーションが自分の感覚と違う場合もある。オーディオブックで子どもの頃に読んだ壷井栄の「二十四の瞳」を聴いたとき、登場人物の話し方が、標準語とは違うイントネーションでハッとなった。活字を発声して音にするって、結構、深い。情報量も増える。これって、メールだけのやりとりと、実際に会って話す場合の差と同じか。
映画化された小説「流浪の月」がいいらしい。映画を見てみたい、原作読んでみたい。書評ユーチョーバー、ベルさんのチャンネルを薦められた。見てみよう。
読書会の後、ガソリンを入れた。1リッター155円だった。満タンで3500円くらいか。今月は自動車税だけでなく、車検もあって諭吉がたくさん飛んでいってしまうから悲しい。ダブルワークしようか悩み中。
カルミアの花に、今年はなぜか惹かれてしまう。ツボミでも美しい。最近、よく見かける。散歩していて、知らない花があるとグリーンスナップのiPhoneアプリを使って花の名前をAIから教えてもらっている。これ、メチャクチャ便利。
ネトフリで「愛の不時着」のソン・イェジンさんが出ている韓国ドラマ「39歳」を楽しんで見ていたのだけど、途中で病気の話しが出てきたので、慌てて観るのをやめた。現実で似たような経験をしたひとにとっては、キツイ内容だ。ひとによるのかも知れないが、病気で大切なひとを亡くしたことのあるわたしは、病気で死ぬドラマは見られない。
かつて、「涙活」、みたいなのが流行り、泣ける映画を見てリフレッシュしよう、なんていう特集があった。その映画のリストが不治の病で死んでいく話ばかりで、不謹慎極まりなく、憤った。どうも、対岸の岸から悲しい話に触れて、泣いて、スッキリするという「装置」にしているみたい。ふざけんな、だ。
木皿泉さんの「昨夜のカレー、明日のパン」の作品の中で、主人公テツコが、「みんな死なないと思ってる。でも、死ぬんだよ」と怒るシーンが印象深かく今もハートに突き刺さっている。テツコは夫を若くして亡くしていた。本当にそうだよな、と思ってしまう。生き死にの話は、いつだって自分の隣にあるリアル。
カルペディエム!
「この世のマイナスニュースに心を奪われて優しい人が傷つきまくってるのはいかんでしょ。」というセリフにぐっときてしまった。
優しさ、という言葉。いま、わたしの中で渇いている。パサパサしてもろく、崩れ落ちてしまいそう。
水を与え、潤わせたい。自分の感性ぐらいは自分でケアして、優しさの感度は上げたい。
「私は優という字を考えます。これは優(すぐ)れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でももう1つ読み方があるでしょう?優(やさ)しいとも讀みます。そうしてこの字をよく見ると、人偏(にんべん)に、憂ふと書いています。人を憂(うれ)へる。ひとの寂しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優(すぐ)れている事ぢゃないかしら」太宰治が友人に宛てて送ったこの手紙文が好き。優しさマシマシの世界に生息したい。