谷町四丁目の面影
時代がワープロのタイピストを求めたあの頃。
母が私を宿す数年前のあの頃。
母はまだハタチ前後の若者で、
手に職をつけるべく大阪の学校に通っていた。
そんな彼女の古き学び舎の面影を探しに
大阪、谷町四丁目を一緒に歩いた。
彼女がこの地に降り立つのは実に約40年ぶり。
お誕生日を記念して、ふたりで大阪をめぐる日帰り旅行をした。
テレビだと懐かしい場所に降り立って
旧友との再会、当時通い詰めた店で食事をし、
そこの店主と懐かしい話に花を咲かせ、
涙を流す場面などあったりするが、
わたしの母はたいそうおおよその人間なので
「こんな建物もあった気がするわ」
などと言いながら、
建て変わったであろうアパートの数々を横目に
チカチカと青から赤に変わりそうな歩道をせわしなく渡ることに夢中であった。
40年ぶりに降り立った谷町四丁目は大きく様変わりしており、母の学び舎も、当時暮らしていた家も見当たらない。新しい街を歩くような母の姿に清々しさを覚えた。
ご高齢のご夫婦がやっておられるクリーニング屋を見つけ、「このあたりの当時の様子を尋ねてみたら何か分かるかもよ」と母に声をかけた。彼女はこちらをチラッとみたあと「いいの、いいの」などと言って軽やかに進む。
私は人生でやりたいことがあふれるほどある。
それを野望といいながら、細々と取り組んでいる。単に好奇心旺盛だというポジディブな側面もあるが、いろいろくよくよしがちで、機会を逃すことをすごく残念がってしまう節があるので、逃すまいと何かに追われるように取り組んでいるところもある。
しかし母は「やりたいことは来世でするわ」
などと適当に言ってのける。
昔は母もやりたいことがたくさんあっただろう。
だが、苦労をしながらも楽天的に物事をとらえ、前向きに進んできた強さのある人だからこそ、今は本当にそう思っている気がする。
谷町四丁目に降り立ったのも、久しぶりに大阪を訪れる母が懐かしい場所をめぐるなかで、なんだかあたたかい気持ちを手に入れられたらいいなと思う一方的な親孝行心からであった。しかし、降り立ってみて分かったことは母は前を向く人で、思った以上に軽やかに人生を生きているということだ。
感動の再会もなければ、感動の食事もない。
40年ぶりとは思えぬ母の表情に思わず笑ってしまう。
けれどわたしも母の子だ。
実際これらの感動を期待はしていたわけではない。
ただ純粋に、母のいた大阪の空気を知ってみたかった。若い頃の彼女に出会ってみたかった。来世では多分できんことやからね。母、お誕生日おめでとう!こころとからだ、元気で過ごしてね。