エビサンドには乗らずとも、自分の力で滑ってく
大学1年生も終わりかけた頃、小学生から頑張ってきた陸上競技を辞めた。本当は未練たらたらだったと思う。
怪我をして走れなかった閉塞感から逃げ出したかったのかもしれない。でも、怪我をして走れないなんてことはこれまでも何度もあった。そして何度も怪我を克服し、何度もトラックに戻ってきた。けれどもその春、陸上競技を辞めた。
後悔よりも、清々しい気持ちの方が大きいように感じた。
新しい好きなものと出会えた。
真っ直ぐに前に進めた。
でも清々しい時ほど、人間は未練たっぷりなのだと思う。未練を悟られぬように必死になったのだと思う。
新しく出会えた好きなこと、それはボランティアだった。
気付けば幼少期からボランティアに携わって大きくなったのだけれど、それでも「新しく」と思えたのは、自分の生活や考え方に、今までとは比べ物にならないくらい大きく影響を及ぼすものとなったからであった。
6年前ある講演でSDGsと出会った。
まだその頃、SDGsは今ほど世に浸透していなくて、自分にとって真新しい言葉を通じて知った世の中の現状や危うさ、そして希望に出会った驚きが、溢れんばかりに私に押し寄せていた。
ある種クソ真面目で、血気盛んな若者だった私は、私が抱える不満や疑問をぶつけられる場所を見つけた。
子供の頃から、「なぜ人は〜なのに、〜しないのだろう。」「どうして人は平気で現状を見てみぬふりをしていくのだろう。」純粋に、子どもをとりまく環境、世界の紛争や飢餓、全てに怒っていた。
自分のことは棚に上げて。
正確に言うと、自分のことは見えていなかったか
らこそ、無責任に一生懸命怒っていた。
「もっとなんとかしなくちゃいけない。」
「誰かが声をあげないと苦しい人はずっと苦しいままだ。」
そんなことを思いながら『知った責任』に苛まれ、知った側の世界にずぼずぼと足をうずめていくこととなった。
そして、気づくボランティアの魅力。
飽きっぽくて、それでいて、新しいことが好きで、まだ見ぬ世界への好奇心旺盛な自分の性分にボランティアはぴったりだった。
知らなかったこと、経験したことのないことなど、様々な出会いと引き合わせてくれた。
苦しい中でお互いに支え合い立ち向かう人たちの様々な頑張りと熱意にも出会えた。今までは現状を嘆き、怒るばかりだったけれど、前向きであることを諦めずに行動していこうという決意ができた。
ボランティアは、私の探究心を満たしてくれる存在で、私が抱く世の中の理不尽さを解消する1つの手立てとなった。
社会的な活動のひとつひとつが、少しでも世の中をより良い方向に動かすことができるように、自分の信念や考えをもって生活していきたいと思う。