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ルール7 立場に関係なく誠実である
これは「ルール3 都合で相手を褒めない」に通ずるところがあると思うが、私は立場に関係なく誰に対してもなるべく誠実でありたいと思っている。
子どもの頃、誠実に向き合ってくれた大人とそうは感じられなかった大人のことをはっきりと覚えている。
約束を守ろうとしてくれる人のことをとても信用していた。
結果だけでなく、頑張っていた姿そのものを褒めてくれる人を心から慕っていた。
相反して、大人と多く関わる機会があったからこそ、表面だけで取り繕って「子供だから」という枕詞で、便利に話す人の姿にひどく嫌気がさしていたことを覚えている。
「子供だからまだ早い」
「子供だからそのうち気がかわる」
「子供は考えが甘い」
これは思春期になるとより強くなった。
その時は、私も今よりもっと未熟だったので、心配してくれる人たちの願いや思いに気付けず、大人に、そして社会に不満ばかりもっていた。
そんな偏った気持ちの中で、当時、中学生としての自分に与えられるはずの当たり前の権利が、与えられていないと感じる時期があった。
もちろん楽しかった思い出もあったし、かけがえのない友達もいたけれど、それだけで『幸せ』と思うには、足りないほどに空気の悪さを感じていた。
私にとって部活だけが生きているという気分になれるものであった。
本当は勉強もスポーツも好きだったし、頑張ることも好きだった。
けれども、真面目ってキモい、みたいな雰囲気がどこかであるように感じていたし、出る杭は打たれる、みたいな空気もあったように感じていた。
悪口や陰口も、えこひいきも…13.4歳の自分には抱えきれないものとなっていた。
誠実に自分と向き合おうとしてくれる大人に密やかに助けを求めていた。たかが「子どもの考え」と適当に流す大人を恨めしく思っていた。
そんな苦い時間に自分が、強く自分に約束したのは、「今感じるこの理不尽さを忘れない」ということと「同じ思いをする子どもを少しでも減らす」という2つだった。
自分がとても息苦しくて、険しく感じていたあの時間を、これからを生きる子どもたちに感じさせたくない。
子どもたちには当たり前のことを当たり前にできる環境をつくってあげたい。
勉強したり、スポーツや文化に親しんだり、そんなごく普通のことを、明るい気持ちの中で経験してほしい。
好きなことを好きと、胸を張って取り組める毎日があってほしい。
子どもたちに幸せになってほしい。
これが中学生の頃からずっと私の根幹にある願いであり、生涯かけて果たしたい夢となっている。
現在実際に、子どもに関わる仕事に就くことができている。
その中で、どこまでこの思いを形にできているかは分からないけれど、いつも、そしてずっと大切にしておきたいと思っている。
子供だから、男だから、女だから…
立場にとらわれず、一人の人間としていつも誠実に向き合いたい。
今なお人間として未熟なためにそれができないことも多々あるけれど、目指すべき自分の姿は、いつも誰に対しても誠実な人でありたいな、と思う。