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ルール5 ボランティアと生きる
幼少期からボランティアに参加することが当たり前の環境で育った。
近所に古紙回収の業者があり、地域の人たちと古本や空き缶を集めて、それを換金しては地元の老人ホームに車椅子を贈ったりしていた。
また夏休みには、福祉施設の作業ボランティア募集に参加し、デイサービスを訪れ、刻み食の準備の手伝いや独居老人へのお弁当配達などを手伝っていた。
そうした環境で育ったこともあり、ボランティア参加へのハードルは、ひょいとまたぐ程もなく、私には容易いものであった。
そして、中高と部活に打ち込むうちに、ボランティアとは少しずつ離れて生活をすることとなった。
大学生になり部活を辞めた頃、ボランティアのイベントに参加するチャンスがあった。
そこからがボランティアのめり込み時代の幕開けである。
まだ見ぬ世界へ好奇心旺盛な自分の性分にボランティアはぴったりだった。
知らなかったこと、経験したことのないことなど、様々な出会いと引き合わせてくれた。
苦しい中でお互いに支え合い、立ち向かう人たちの様々な頑張りと熱意にも出会えた。
特に私は自分の学生時代の経験から、社会の中でとりわけ子どもに幸せに生きてほしいと思っている。
お金持ちとか、そういうことではなく、衣食住に不自由せず、愛されていると実感して育ってほしい。信用できる大人に見守られながら、夢や目標をもって思う存分失敗したり成功したりを繰り返してみてほしい。そして自分の好きなことや大切に思えることと出会ってほしい。
そんなあたたかい環境で子どもたちには育ってほしい。
そして"きっと大丈夫"という気持ちをもって社会で生きていってほしい。
子どもが当たり前に享受すべき幸せを、当たり前に受け取れる、そんな社会であってほしい。
年齢を重ねると共に欲張りになり、私の偏った思いと願いは山積みになっている。
だからこそ、私は子どもたちが生きる状況が少しでもよくなるためのボランティアに取り組みたい。
社会人になった今もなおボランティアに参加している。
自分ができることがあるなら、できることがどんなに僅かでも、見て見ぬ振りではなく、いつも行動する自分でありたい。
願わくば、少し未来には
やりがい搾取のボランティアではなく、
無償性ばかりが取り沙汰されるボランティアではなく、
前向きなボランティアが社会をよりよくしていますように。
子どもたちが当たり前の人権と権利を享受して幸せに生きることができていますように。