夏をとりもどせ2021
2019年、コロナが流行の兆しを見せはじめた。
そしてあっという間に世界中で大流行。
みんな楽しみにしていた予定もあっただろうに中止という決断をした人も多かったと思う。
コロナに怯え続けた初年度、かく言う私もいろんな予定を泣く泣く中止にしたひとりだった。
コロナを機にすっかり様変わりした世の中。
でも今回はそんなコロナへの嘆きを綴りたいわけじゃない。
これはコロナに奪われた夏を取り戻すべく童心にかえったある夏の一日のお話である。
2020年夏。
何年も前から計画していた沖縄旅行も楽しみにしていた花火大会も職場のBBQも何もかもがおじゃんになった夏。
当時はコロナが猛威を奮い始め、誰が感染してもおかしくない状況に怯えていた私たち。
こうして2020年の夏はひたすら引きこもることで終わった。
それから一年後の8月。
この年も何の計画も立てなかった
しまなみ海道を風をきって走りたかった。
・・・
フラストレーションの限界に達した私はある友人を呼び出した。
彼女はMとする。
Mは小学校からの友人で、地区も同じということもありよく遊んでいた。
中学は別になり、そこからはあまりというか全然連絡も取らなくなりお互いほとんど疎遠のようになっていた。
私が親戚からフィルムカメラを譲り受けて、それ以前から写真が好きだった彼女のインスタグラムに一緒に写真撮りに行かない?とお誘いするまでは。
(この話はまた別で記事にしたいと思う)
・・・
私「一日で夏を取り戻そう。夏といえばで思いつくこと全部出してほしい」
M「最高」
祭り、花火、ラムネ、ひまわり、浴衣、麦わら帽子、水遊び、スイカ。
うん、いいね。
場所は私の実家。結構スペースもあるしね。
実家のばあちゃんには使用許可をもらった。
決行だ。
・・・
実家にあった大きなタライに水を入れる。そこに買ってきた大量の氷を入れたんだけど猛暑ですぐになくなっちゃった。
さらに大量のヨーヨーを作っては浮かべた。さらにさらにラムネとサイダーを投入。
直径約90センチの小さな小さな夏。
太陽が反射して涼しげにゆらゆらと揺れる水面を眺めていると、どことなく涼しさを感じた。
ガラスのコップにゼリーを入れて、サイダーを投入。見た目もカラフルで美味しそう。
ひと口。うん、まごうことなき天下の三ツ矢サイダー。
底に溜まったゼリーが急に流れ込んできて咽せるM。
イメージではぷかぷかと浮かぶゼリーをすくいながら飲む、だったんだけど普通にゼリーの重量が勝った。そりゃそうだ。
M「足つけちゃおっか」
氷の溶けたタライに足をひたすと一気に涼しさが増した。温泉につかった時のようなため息が漏れた。
そのままラムネもいただく。
小学生の時、各地区ごとにお祭りが開催されていた。小さな広場でそれぞれ小さな屋台を出して。
私の地区は真ん中に櫓を立てて、その上でラムネ早飲み大会とかしたっけ。
そして歩いて隣の地区のお祭りにも遊びに行く。
小学生の時は夜に出歩くことは一大イベントのような高揚感があった。いつもと雰囲気のちがう友達や地区の大人たちにもなんだかワクワクしたな。
私「小学生の時に地区ごとにお祭りしてたじゃん」
M「なつかしい」
私「ラムネの早飲み大会、毎年参加して万年二位だったんだよね」
M「はせちゃんの地区にはチャンピオンがいたもんね」
ラムネ早飲み大会の覇者、そして私の親友であるP。
今彼女の手元はラムネではなく缶ビール。
あの頃と変わらぬスピードで飲み干す彼女を見るたびに私の歯痒い万年二位の記憶が呼び起こされるのだ(二本目を開けながら上機嫌の彼女は当然何も知らぬ顔で)。
・・・
午後、本格的に暑くなる前に浴衣を着ようということになった。
Mは白地にヨーヨーのような色とりどりのまるが描かれた浴衣。
私は黒地に赤紫色の朝顔が描かれた浴衣。
高校の時に着付けを習ったのでお手のもの・・・ということはなく。
ばあちゃんを召喚した。
ば「あんたたち浴衣の着付けくらいできるようにならんと」
おっしゃる通り。でも何回教えられてもなぜか覚えない。たぶん私がどうしてもできない◯◯トップ3に入る。
ちなみにあと二つは逆上がりと二重とびです。
二人とも着付けを終えるとばあちゃんがいそいそと買ったばかりの携帯を持ってきて言った。
ば「カメラはここね?」
最近カメラを覚えたばあちゃんは私たちに並んで並んでと指示を出す。
うふふと満足そうなばあちゃんは打ち水へと戻っていった。
直売所で買った特大スイカを切り、思いっきりかじりついた。
M「ちゃんとした大玉のスイカなんて何年振りに食べただろう」
私「買って食べようって思わないもんね。カットフルーツばっかり食べちゃう」
M「あ〜でもやっぱりいいなあ、こうやって食べるの」
スイカって本当に誰かと食べる果物の代表格だと思う。
一人じゃ食べきれないっていうのもあるけど、切り分けた時に誰が真ん中の大きくて甘い部分を食べるとか、種を集めて埋めたりとかしたっけ。
ちなみにその時埋めた種からソフトボールくらいだったけどちゃんとスイカがなったのを覚えている。切ったら真っ黄色だった。あれは本当にあの種から出た芽だったのか今となってはもう分からないけど。
太陽は真上に昇る時刻。
だけど不思議と暑さは感じなかった。
・・・
水遊びをすることにした。
と言っても、庭の水道からホース繋いで遊ぶだけなんだけど。
今は日焼けとかお化粧とか気にしちゃって思いっきり水遊びしなくなったもんなあ。
だけど今日はそんなのなし。
私はホースの口をぎゅっとつまみ、Mの頭上に容赦なく水を散らした。
Mの楽しそうな悲鳴。
そのままホースを空に向け、雨を降らせた。
M「いや傘あるのずるくない!?」
私「だってお化粧落としたくないもん」
話がちがうと地団駄を踏んだMは、ニヤリと笑いホースを拾うと、あろうことか死守していた私の顔面に容赦無く水を浴びせてきた。
M「さすがウォータープルーフですな。水が弾かれている」
私「私で検証しなくてもよくない??」
二人ともすっかり水びたし。
Mは私の持っていた淡いブルーのビニール傘に入ると、ホースを雨のように降らせた。
ビニール傘の中から空を見上げる。
陽を受けてキラキラと反射する水滴が目に沁みた。
M「綺麗な色の傘だね」
私「安いよ。800円」
M「この傘初めて見たけど前のは?またなくした?」
おっしゃる通り。なぜか何度も置き忘れを繰り返す。たぶん私が無くしやすいもの◯◯トップ3に入る。
ちなみにあと二つは目薬とリップです。
・・・
後片付けをして着替えを終えると、すっかり陽も傾いていた。
夏をとりもどせ2021を締めくくるのは大量に買い込んだ手持ち花火たちである。
すっかりぬるくなったタライの水を火消しとして設置。
手持ち花火って最初に何から始めるか決める時点でもう楽しい。
私が選んだのは色が変化するタイプのやつ。
シュボッという音と共に記念すべき一本目に火がついた。花火を持ってくるくると回る。
暗闇に弾ける光の粒が生まれては消えていった。
あっという間に終わった一本目を皮切りに、両手持ちにしたりと次々に火がつけられていく花火たち。
線香花火のバチバチが激しいバージョンのような花火は、全部Mに譲った。苦手なんだ、あれ。
しばらくすると玄関からひょっこりとばあちゃんが顔を出し
「まぜて」
と入ってきた。
ばあちゃん、火をつけるスピード早すぎる。次々につけるやん。
花火の光に浮かび上がったばあちゃんはそれはそれは楽しそうで。
童心にかえる夏計画はどうやら老若男女も千差万別も関係なく童心にかえしてしまうらしい。
ひとしきり楽しんだばあちゃんは満足そうに寝床へと戻っていった。
・・・
あっという間に残りわずか。
残るは線香花火。
私「揺らさないようにすると長く保つんだよ」
M「勝負やな」
すぐ勝負に持っていくのは私たちの癖のようなもの。
火をつけると静かに燃え出した花火は、やがてパチパチと小さな火花を散らし始めた。
ひときわ大きく燃え上がった後、それは唐突に終わる。
ぽとりと落ちた火の玉に、かすかに残る煙の香り。
線香花火が終わった後に感じるあの独特な寂寥感ってなんなんだろう。
私たちは勝負のことなんて忘れていたと思う。
いよいよ最後の一本になった。
私よりも長く保てるMにその一本を譲り、私はカメラ役に徹した。
できるだけ長い間眺めていたいという気持ちからか、お互い話さず動かず、じっと花火を見つめた。
気のせいかもしれないけれど、その一本は今までよりも長く保てていたと思う。
徐々に弱くなる火花に、同時に夏の終わりも感じてしまう。
ぽとりと落ちた一粒が、夏計画の終わりを教えてくれた。
夏の終わりに感じる切なさは、どこか特別なもののように思える。
夏休みに集まる親戚たち、そこで出会う新しい人たちに、「また来年」と手を振るあの切なさに似ている。
私が夏を取り戻すために躍起になったのはそんな特別な切なさを、毎年のように、当たり前のように過ごせていたあの夏を、忘れたくなかったからかもしれない。
・・・
2022年、夏。
見事にコロナにかかった私は10日間の療養を終え、ある人物に連絡を入れた。
「M、夏をとりもどしに行かない?」
行ってきました
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