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8月29日《空白が多くのものを引きだす》

今朝は、英語が身体に乗ってくる日だった。今日の英会話の先生が急かしたり結論を急ぐことをせず、私が意見を述べるのに十分な時間をくださったのもよかったのだと思う。

何か表層以下のものを引き出したいとき、十分な空間というのが必要だ。

yieldというボディワークを受けた時にも同じことを感じた。目を瞑りベッドに横たわっている私は、実感としてはほとんど何もされていない。たまにどう感じるか、声掛けをされる。ただ横たわっているだけなのに、なぜか頭の中が整理され、身体が自立的に回復していくプロセスのなかにいるという感覚があった。実際に、施術後の帰宅途中から身体に変化が起きているのがはっきりとわかった。足の裏の感覚、顎がズレていたのが音を立てて勝手に治ったり、とにかく不思議だった。

私は、広い場所に出ると気持ちが高揚する。そして、広さというのは安定につながっていく。

物理的な広さがない場合でも、身体の中には無限に空間を広げられる。

枠を外して、内外の空間の広がりを伝えることが、私が身体を通してしたいことだと思う。

昨日の本棚で目についたまだ読んでいなかった本を開いてみて驚いた。これを手にした頃はまだダンスを踊ると思っていなかったのだけど、踊りについても書かれていたから。いま読むべきだった。

そしてこの一節から、私は相対するものとして優劣をつけてしまっていた、踊りと書くことを結びつけることができた。

ステファヌ・マラルメが舞踊に関して言い表した公理は、人々を絶えず魅了してきた。曰く、女舞踊手は踊るのではなく、書く。舞踊とは、身体の書きものであって、それは「筆生のあらゆる道具から解き放たれた詩」に他ならないとされる。舞踊を想像するものが今日もなお「choreographe(舞踊を書く者)」と呼ばれていると言うことによって、この構想の力強さと執拗さが証される。

ジョルジョ・アガンベン「ニンファ その他のイメージ論」p.90

ニンファ その他のイメージ論

【今日のからだ】
昨日より右腕は軽いがまだ軽く張っている。また今日も歩き回りたい気分。ジャズに英詩を載せた音楽、シャドーイングしながら歩き回る。声を出すと身体の中が開く。しかし少し疲れる。1時間もたない。暑い。力を思い切り入れてから脱力してみる。テンポの速い人力ミニマルは内分泌系に作用している気がする。速い曲の中で対極をいくゆっくりとした動き。そのゆっくりとした動きの中の曲よりも速い動きにより安定を目指す。

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