粛々と日常を過ごす
やっと。
やっとこうやってPCに向き合う時間がもてた。
勢いで決意してから動き出した11月半ばから12月。
少しずつ自分を立て直していった。
いや、立て直していった、というより、繰り返す毎日を過ごすうちに立て直っていった、というのに近いかもしれない。
それくらい、毎日を粛々と過ごしている。
朝起きてカーテンを開けてラジオを流す。お弁当を作り、少し多めの朝ごはんを食べて、スーツを身にまとい出勤。余裕をもって起きているはずなのに、いつもギリギリになって駅まで駆け足になるのはお決まりのこと。
ああ、日常だ、と思う。
この生活が日常になってきた、と。
環境を変えると何かが変わるかもしれないと思っていたけれど、実際は思っていたよりも大きな変化はない。発見はあるけれど。
すべてはやっぱり気の持ちようなのかもしれないなと最近思う。
「病は気から」最近この言葉をよく使う。
細かい使用例は知らないけど、感覚的に、これってすべての根源なんじゃないかと思う。
「私は雨女」って言わなくなったら、雨女じゃなくなった気がする。
「インフルエンザにはならない」って宣言してたら、本当にならない(まだ可能性はあるけど)。
だから。
すべては自分の気の持ちようだ。
過去を思い返しては泣きそうになる夜もある。
胸がぎゅっとつかまれるように痛くなる日もある。
朝、さわやかに起きられない日の方が多い。
だけど。
「幸せになる」
そう思うことは自由だ。
「明日はなに食べよう?」
毎日そう考える私の未来には、きっと明るいものがある。
「なんとかなる」は、なんとかする気がある人が使うと意味を成す。
明日の朝は、大葉チーズをのせたトーストと、キウイを入れたヨーグルトにしよう。最近めっきりブラック派になったコーヒーと一緒に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?