あかね噺-第141席・前座修業閉幕-感想
あけましておめでとうございます!
って、かなり遅くなってしまいました。今年の年末は9連休という事で、1月4日の感想は5日に書いちゃうぞ!ぐらいに思ってたんですけど、仕事が溜まりに溜まってしまって感想が遅くなってしまいました。
次の話が公開される前に感想を書かないとヤバイとキーボードに向かっています。
忙しいピークは2月末ぐらいまで続きそうなので、ひょっとすると感想を飛ばしてしまう事態があるかもしれませんが、その時は忙しいのは良いことだと思っていただけると幸いです。
今年の抱負としては、色々あるんだけど、ここでの目標は、感想を上げ続ける!って事かな。
考察も長い間書いてないし、いろいろと妄想が広がってるので、どこかで破門について、もう一度書きたいかな?「一つは書く」を公約にしたいと思います。
それでは感想です。
◆あらすじ
週刊少年ジャンプ 2024年12月23日発売 6・7合併号
あかねは一生の一門に入る。前座修業が終わり、3年が経過し、舞台はパリへ。
◆感想
第31席から始まった前座修行編が閉幕ということで、次回からは何編が始まるのか楽しみになる一話でしたね。
今回は、志ぐまのメール・志ぐまの芸・3年後・前座修行編について書いていきます。
志ぐまのメール
まず、前回の感想でも触れてた志ぐまの意思がメールで出てきましたが、簡素なものでした。志ぐまは高座への復帰を目指して闘病生活に入ることに決めたようです。
流れに身を任せ多くを語らないのは志ぐま流ではあるのですが、流れに身を任せる際の心の動きが見えないので、すごい違和感を感じてしまいます。
志ぐまの葛藤のようなものが、少しでも感じさせてくれれば、もう少し感情移入しやすいんだけど、聞き分けが良すぎて人間味がない感じがしてしまいます。
一門を破門にすると一生が決めた事、弟子をそれぞれの四天王が引き継ぐ事について、志ぐまはどう思ったのでしょうか?
あかねが弟子入する時に真幸に頭を下げて誓った事に対して、やりきったと言える状況でもないはずです。
あかねだけじゃなく他の弟子も同様で真打ちにもなっていないし、特にぐりこは順調でもなく必死にあがいている状態です。
こぐまも亨二もまだまだ助けが必要で、やもえない事情はあるにせよ、それを他の人に任せることについてどう思うのか?
何も思わない事は無いはずで、それを全く見せないからモヤモヤする部分があります。いずれ、この時の思いが語られる時が来るときを待ちたいと思います。
一生が決めたことだから、理性的に正しい事だから納得したんだと思うんだけど、一生の理不尽な行いでも黙って従う志ぐま。
志ん太の破門の時といい、今回といい、逆らっても良いはずの場面で対した抵抗もなく従うのは、あんまり好きじゃないなぁ。
過去編で、一生と志ぐまとの絆を理解できるかと思ったけど、一緒につるんで2年間共に耐えた絆はあるものの、一生の言うことに逆らわない理由までは分からなかった、そういう性格の人ってオチだと嫌だな。
志ぐまの芸
色々な思いを振り切って一生の前に来たあかねに対しての一生から「志ぐまの芸」を禁じたのは驚きました。
これは、一生の真意が何処にあるかが面白いですね。
あかねを焚きつけるためにこういう言い回しをした様にも見えますが、私はそうじゃないと考えます。
可楽杯の時のあかねの「あなたの切り捨てた芸」で見返すという啖呵に対して、望むところだという独白は一生の本心だと思います。
この「あなたの切り捨てた芸」というのは「志ぐまの芸」を指すと思います。当時のあかねは「志ぐまの芸」を知らず、父の落語ぐらいの意味で発した言葉ですが、一生には「切り捨てた芸」=「志ぐまの芸」と受け止めていると思います。なので望むのは「志ぐまの芸」のハズです。
そう考えるとやはり一生は「志ぐまの芸」を自身が受け継ぐことを望まず切り捨てたというのが正解のようです。魁生も同様のことを禄朗に語っていました。
一生は、「志ぐまの芸」を現代に蘇らせてほしいという想いがあるけれど、それ以上に半端な「志ぐまの芸」は絶対に許せないという思いがあるように感じました。
「志ぐまの芸」に近づけたくないというのは本心だと思います。
なんなら、あかねを育てるためでは無く、「志ぐまの芸」をさせない為に引き受けた様にも感じました。
あかねのモノにする腕を身に着けたら教えろという啖呵に対して、引き受けたのは一生の狙い通りだと感じます。
これで、自身が認める「志ぐまの芸」は残り、半端な「志ぐまの芸」は残らない。この辺りは理不尽で乱暴な決定を下していても、実利がある形に持ってくる一生の剛腕さを感じました。
3年後
この後、一生からあかねに何を求めるのか?何を教わるのか?を期待していたら3年後に飛んでしまいました。
真打ちを目指す以上、どこかで時間を飛ばす必要はあるので二つ目になったタイミングで飛ぶと予想していたけど、一生の下に入ったし、一生と1エピソードぐらいやってからかなと思ってたんですけど、テンポよく飛ばしちゃいましたね。しかもパリ!
飛ばしたって事は、一生はあかねに何かを教える気は無いのかな?ラスボスだし、何かを教えるより、あかねの成長を量る壁として存在し続けるんでしょうね。
今の展開は、志ぐまには一切近づけない約束があるような状況で不自然極まりなく破綻してるように感じているので、時間も場所も飛ばす選択は良いと思いました。
これで志ぐまに聞けばいいじゃんみたいな考えを持たなくてすむのは良いと思います。生きてるけど死んでる志ん太が物語の推進力になっていたけど、志ん太については、「たかが落語だ」であかねの父として生き返ってしまったので、今後は志ぐまがリビングデッドとして物語を動かしていくのかなと思います。
志ん太は単身赴任で九州に飛ばされて物理的に隔離されたように、志ぐまから遠く離れたパリに行くのも理にかなっていると思います。
なんでパリなのか?は、あかね噺はフランスでは結構人気があるようで、現地でのあかね噺のイベントや末永先生と馬上先生のフランス語訳のインタビュー動画も作られているので、その一環ということなのではないでしょうか?
また、”尻流 複写ニ(シリル・コピーニ)”という在日フランス人の落語家もいて、落語をフランス語に翻訳したり、自身がフランスで落語会を開く活動も行っておられます。
他にも、”ステファン・フェランデス”というフランス人落語家もいて、演出家のサンドリーヌ・ガーブグリアという方の作ったオリジナルの演目をされているそうです。
この二人が、作品に出てきてもおかしくない感じがします。
フランスで、落語はマイナーではあるものの存在はするようですが、すべてフランス語で行われています。
ステファンさんの落語も、日本の落語をそのまま持っていっても理解されないので、日本の落語を下にした改作落語的な物をサンドリーヌさんに作ってもらってるようです。
からしも二つ目に上がっててもおかしくないですし、フランス人にわかるように改作落語であかねをサポートする展開があるのかもしれないです。
前座修行編
あかねが二つ目に昇進が決まり、師匠であった志ぐまと別れた事で、あかねの立場が大きく変わった所で前座修行編が閉幕。
開口一番からりゑんと喧嘩してうららに助けられ、父の落語の本質を知り、自分の落語を見つけ、二つ目への昇進といろんな事がありました。
個人的に一番良かったのは「変わり目編」で、弱さが武器だった父と弱い落語家はいらない一生の対立点が目からウロコで面白かったです。
落語で一番面白かったのは、あかねじゃないけど「たちきり」で、まいけるの人生と話の内容をリンクさせて、志ん太への想いも含めてたちきったラストも秀逸でした。
キャラクターでは、兄弟子sとか志ぐま、一生あたりはメインなので省くと、阿良川全生が良かったかな。わがままで嘘がないのに、「いいけど、別にいいけど」が口癖っていうキャラ付けのエグさが素晴らしいと感じました。
落語創作物で一番面白いの前座時代なのですが、この作品なら今後も面白くなると思います。
次回からは新章という事で、あかねがどんあ落語家に育っているか、あかね以外の面々がどんな成長をしているのか。一生とあかねの関係はどうなっているのかを楽しみにしたいと思います。でわでわ。