あかね噺-第137席・しゃあねぇ-感想
Netfrix「ARCANE:season2」視聴。
season1も最高だったけど、season2も面白かった。日本では人気がないらしいけど、海外作品が世界で勝負する中で国内作品を低予算で作っている現状は、かつてゲーム業界が辿った歴史に似ていて、日本がメインストリームから外れる時(それなりには残って入るが)が来るかもしれないと思う。
特に背景美術を含めてすべてのカットで決まりまくってるルックの凄さ。
シナリオの面白さに答えた演出力、すべてを制御できるアニメだからこその演技や演出の隙の無さがえげつなかった。
絵柄が嫌いとかいう人を軽蔑するほど、この表現力を今見ないのは損だと思う。
アニメスタジオForticheが、日本の原作モノとか作ったら、日本のアニメ会社は戦慄すると思うけど、現状で手一杯かな。
======以下ネタバレを含む感想======
魔法を取り巻く人物達の群像劇で、みんなが必死で生きていく中で避けられなかった事故の物語で、明確な悪はいないけど多くの人がいろんな物を失う物語でした。
この世界はまだまだ終わらないけど、この引き金を引いたせいで失い続けたヴァイが、失わない自分の場所を作った事で物語が終わるのは、この作品の終わりとして綺麗にまとまっていたと思います。
このアニメはLeague of Legendsってゲームの世界観を元にしたアニメで、そのキャラクターが何人か登場するんだけど、みんなにしっかりとした哲学を持った魅力に溢れており、よくある顔見世で登場して見せ場作って退場する単なるファンサービスになっていない所に感心しました。
ゲームに登場しないオリジナルキャラクターも、それぞれに想いがあって行動している所に面白さがありました。
倒すべき敵として出てくるアンベッサやビクターといった人物も悪役では無く彼らの視点で見れば主人公としての振る舞いをしていたし、その思考や行動に不快に思うところがなかった。
不快といえば、ジェイスやヴァイ、ケイトリンあたりは、その言動に不快感を感じている人もいるけど、この物語を通じて間違ってしまう人が沢山登場するけど、それも含めての人間って思う部分が多くて、その人物の立場で考えれば理解できたので、逆によく出来ているシナリオだと感心しました。
この物語で選択を間違い続けるヴァイが、納得できないと思う事は一回も無かった。貧しさからお金持ちの家に泥棒に入ったこと、パウダーをヴァンダー救出の時に連れて行かなかったこと、ケイトリンを好きになってしまうこと、ジンクスを止めれなかったこと、他にも沢山があるけど、どの選択もそれを選ばなかったらヴァイじゃなかった。
ジェイスは欲望に負けて打算的に裏切ったりしてしまうけど、至って真面目な青年であり、若さゆえに間違うこともあるし、その事を悔いているから、ビクターを止めることが出来た。
それは、ビクターが人間の過ちを無くすべく完璧な世界を作ろうとした事へのチテーゼになっていたと思います。
ヴァイの物語は終わったけど、この世界の物語はまだまだ続くという事で、次のアニメもあるようなので、それを楽しみに待ちたいと思います。
できれば年1ぐらいで見たいけど、時間かかるんだろうな。
「あかね噺」に関係ない話を長々と書いたけど、最初は個人の健忘録を兼ねてるのでご容赦願いたい。では感想です。
◆あらすじ
週刊少年ジャンプ 2024年12月2日発売 1号 センターカラー
生禄は、一生らの破門という命令に背いて、自身の破門を恐れずに2人を高座に上げることを決めた。
そんな事を知らず、一生は初高座の幕が上がる。
◆感想
センターカラーは役者絵風、馬上先生は絵を書くのが本当に好きだと感じさせるこういう遊びがあるのは良いと思います。
今回は、知ってた人知らなかった人・落語とは・当代一の初高座、について書いていきます。
知ってた人知らなかった人
第4話で、あかねが志ぐまから落語を教わっている事を知っていた真幸とそれを知らなかった志ぐまのギャップで話を面白く作っていた事で、この作者は話の作り方が上手だなと感心したのですが、今回も生禄が破門も辞さずに弟子に初高座を踏ませることを知っている志ぐまと知らない一生という構図を作ってきました。
これは間違いなく今後の2人の関係に影響していきそうです。
ここで破門を申し出る志ぐまと、生禄を止める三禄に対して、「しゃあねぇ」と腹をくくるシーンはカッコよかったです。
ここでラバウルから帰ってきた生禄を喜ぶ四代目柏家三禄(以下四代目)を差し込む所が上手で、生録が一生らの親としての姿と、生禄の親としての四代目の姿を重ねる事で、四代目が生禄に破門するように言いつけるのは、純粋に柏家や生禄の事を思っての事だと理解できました。
破門覚悟で、初高座に上げることを決めた生禄は、それを制止する志ぐまと三禄に、わがままを聞いてくれるように願います。
このわがままが何なのか?
予想ですが、「この事を一生に教えるな」と「三禄に四代目を継いで三禄になって欲しい」だと思います。
これが、後々まで後を引いて一生と志ぐまと三禄の間での亀裂になっていったように思います。
まぁならなんでうららがそれを知っていて、あかねにベラベラ喋ってるの?って事にはなるけどね。
これは妄想だけど、この3人の知ってたと知らなかったは、今後のキーになってくると思うので、どういう形になっていくのか楽しみにしたいです。
落語とは
四代目が生禄に語る言い分は、酷いけど筋の通った話ではありました。
柏家の江戸落語の中心としての役割を重く見ているんだと思います。
落語は大衆芸能なのか伝統芸能なのか、人によって捉え方は違うけど、どちらの性格も存在するというのが答えだと思います。
落語家の人は「大衆芸能なので、肩ひじを張らずに見てください」なんて言うんだけど、こういう事を言わないといけない事が、大衆芸能ではないんだと思います。こんなこと言う漫才師いないでしょ。
大衆芸能ってのは、その時の流行り廃りで生まれるもので、時代が経てば無くなってしまうものです。例えば一昔前には音曲漫才というのがありました。”宮川左近ショー”とか”横山ホットブラザーズ”みたいな人達で、楽器を鳴らしながら歌と笑いを提供する漫才です。
これは、昭和初期ぐらいから人気を博してたくさんの芸人がいましたが、現在にこの芸を残こす人はほぼ絶滅していると思います。
大衆が求めないなら消えても良いのが大衆芸能であり、大衆に受けるために変わり続けるのが大衆芸能です。
逆に伝統芸能というのは、芸を残すことが重要になります。人形浄瑠璃や狂言など、現代の人が何の知識もなく見れるような娯楽ではありません。
しかし、「昔のまま残して後世に受け継ぐこと」と「今を生きる人に支持されること」を天秤にかけて前者を重視しています。
そのまま残すために、文化財に認定されたり、残すための補助金といった物で支えられることになります。
残すためには変わらない事が大事になり、それゆえに時代の変化に対応できず大衆からは支持されにくくなってしまいます。
落語や歌舞伎は、この中間を彷徨っている状態で、伝統を維持しながらも大衆に受け入れられるように変化し続けています。
それが落語や歌舞伎の強さです。
変化していくだけでは、落語そのものが無くなってしまいますし、変わらなければ、大衆に支持されず力を失ってしまいます。
この両翼がある事が落語の強みであり、格式があって残すべき芸であり、大衆にも受け入れられるように変わり続ける。
四代目が伝統と格式に拘るのも必要な役割だと思います。
例えばM1グランプリやキングオブコントというコンテンツが出来たのも、バカにされるだけの芸人の凄さを可視化し、芸人としての格を上げる目的も含んでいるわけで、何においても格というのは一定以上は必要だという証拠だと思います。
しかし生禄は、汚点を笑いにするのが落語家であり、芸は人なりとして自分の背くことはできないとします。弟子の二人を破門にして、自身の落語も変えろという指示には従えないと、師匠を裏切ることを決めてしまいます。
汚点を笑いにするのは、「業の肯定」を意味する言葉で、ここまで志ぐまから何度も提示されている落語観です。
四代目は、大名人であるにも関わらず、この事を理解できていないのは不自然と感じるかもしれませんが、この「業の肯定」というのは、立川談志が1965年に発売された「現代落語論」で定義された落語とは?の答えであり、談志がこれを唱えるまでは、落語とは何なのか?を考える人さえいませんでした。
この時代に生きる四代目がこういう概念が無いのは不思議ではないのです。(志ぐまの落語観なだけで、これが正しいと決まってもいない)
談志のいないこの世界では、この「業の肯定」的な概念を最初に提唱したのが生禄なのかもしれませんし、伝統芸能になりつつあった落語を、大衆芸能として蘇らせた談志的な役割を担うのかもしれません。
当代一の初高座
いよいよ一生の落語が見れるわけですが、この初高座はどうなるのかも楽しみですね。成功するのかしないのか?どっちに転んでも面白そうですが、個人的には失敗する方が好みです。
今のジャンプ漫画は、天才が天才性を見せるマンガばっかりで、今の時代と言えばそうなんだけど、はじめから強い人、才能がある人のマンガばかりです。
ルフィーはゴムゴムなんて外れっぽい実だけど、創意工夫で頑張るマンガで好きだったんだけど、結局ニカニカの実なんてくだらない実の能力者になってしまって、一気に冷めちゃいました。
ニカニカの実の上に努力があるのも理解できるんだけどね。
イチローは天才と呼ばれるのを嫌がるように、本当に努力の先にしか栄光は無いはずで、大谷だって体が恵まれてるから打ててるなんて事はなく、あの体を作るための努力もあるし、技術を身につける努力やメンタルなど、様々な努力があるはずです。
挫折だって何度もあるはずです。そこで折れずに頑張ってきたから今日があるわけです。
私は、本当にすごい人はそういう様々な努力や挫折の先にあるものだと思うし、だからこそ尊敬される人物だと思います。
当代一の落語家の初高座が、酷いものであればあるほど、一生の凄さが際立つと思うけど、どういう初高座にするか楽しみです。
もちろん、ここで失敗しないように完璧に準備した姿を見せられても、それはそれで凄い人だって思うんですけどね。
何にせよ一生の落語は楽しみです。
「カグラバチ」のアニメ化が決まったらしいというニュースが入ってきたんだけど、そこで「あかね噺」と「幼稚園WARS」が、アニメディレクターに謎にディスられてしまうという事件がありました。
その意見には納得するところもあって、「カグラバチ」は世界的なヒットを狙えるマンガで、「NARUTO」や「ヒロアカ」といった作品を基準にした話。「あかね噺」が、そういう作品ではないって意味で、糞アニメディレクターの金儲けについての評価はどうでもいい話です。
ここで話に上がるってことは、アニメ化すべき作品として見られている部分のみ受け止めたいと思います。
「カグラバチ」は、あかね噺以降に始まった連載で唯一、あかね噺より上と評価した(方向性の好みを抜きにしてですが)ので、この流れは自然で金をかけて凄いアニメを作って欲しいです。それこそForticheに作らせてほしいけどね。
今週の感想はここまで、でわでわー。