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あかね噺-第130席・ぐちゃぐちゃ-感想

<第129席感想・感想リンク・第131席感想>

ジャンプの打ち切りサバイバルが過去最高レベルに難しい。
いつもは何となく打ち切り作品が見えてくるんだけど、今の所、打ち切られそうな作品が見当たらない。
アンデラと夜桜が次の改編期までに完結する可能性もあるけど、アンデラはちょっと巻いてる感じがあるけど、終わらせるには話数が足りない感じがします。これだけ続いてきたマンガが巻いて終わる姿は見たくないので、打ち切り候補なら、プラス移籍して、きっちり終わってほしい感じはします。
あかね噺が打ち切りサバイバルに巻き込まれることはないと思いますが、改変で編集部がどういう判断をするのかに興味があります。

◆あらすじ


週刊少年ジャンプ 2024年10月14日発売 46号 センターカラー

倒れた志ぐまの手術は成功したものの、喉頭がんが見つかり、落ち込むあかね。志ぐまの病室で一生から、志ぐま一門の解散とあかねの後見人になると告げられる。

◆感想


一気に話が進みました。「あかね噺」は、丁寧に展開をつなげたり、人物の反応を描写するので、ゆっくり丁寧に進むのですが、動くときは一気にクライマックスまで持っていく”緩急”が素晴らしいけど、ここまでの急展開は4ヶ月をすっ飛ばして弥栄亭前までワープした時以来です。
今回は、喉頭がんと落語家・コミュ障すぎる一生、について書いていきます。

喉頭がんと落語家
声を生業にする落語家が、声を失う可能性のある喉頭がんになるというのは、悲劇すぎます。

現実の落語界でも喉頭がんになった人といえば「あかね噺」の監修をされている林家けい木さんの師匠である林家木久翁さんは、初期の喉頭がんを患い、声を守るために切開手術ではなく放射線治療を選択し、声を失うこと無く完治しています。

今回の志ぐま師匠の喉頭がんはステージ2です。ステージ2の喉頭がんはリンパ節までがん細胞が広がっている状態で、初期ではなくかなり進行した状態です。この喉頭がんのステージ2だった有名人がつんくさんです。
つんくさんは治療に切開手術が必要となり、その結果、声を失ってしまいました。
ステージ2の喉頭がんというのはかなり進行した状態ですが、5年生存率は87%程度で、適切な手術をすれば今すぐに命を失うという事はありません。
つんくさんも、現在は完治して様々な活動をされています。

そして喉頭がんといえば、立川談志です。
立川談志の喉頭がんがどの程度進行していたのかは定かではありませんが、2008年にがんが見つかり、主治医から声帯摘出しないと完治しないと宣告されているので、おそらくステージ2以上だったと推測しますが、切開手術を拒んで放射線治療を選択します。
治療して落語家を続けますが、2011年に咽頭がんによる呼吸困難で、気管にメスを入れるしかなくなり、手術によって一命をとりとめますが、声を失ってしまい、その年の内に逝去しました。
談志は、落語か命かの選択で落語を選び、自らの寿命を縮めましたが、落語家としての寿命は3年延びた結果になりました。

本人が今際の際に、自身の判断をどう思ったのかは分からないけど、2011年の年末に「談志 Talk&Movie」というイベントがありました。
がんを患い声が出にくくなっていたので、談志のトークと2007年の芝浜をスクリーンで見るというイベントでしたが、談志が急遽落語をやると言い出し「落語ちゃんちゃかちゃん」「権兵衛狸」「芝浜」の三席を披露しました。
この時の落語は、聞いた人によると、咳が止まらず声がかすれてしまって、所作や話の作りなど感心させる部分はあるものの、掛け値無しで素晴らしいと呼べるものではなかったようですが、談志の闘う姿に感動したそうです。
この高座に対して談志は「3席もった喉と体に素直に感謝しています」と、大歓声を浴びても自身が納得できないと不機嫌になる談志らしくない言葉を残しています。
出来がどうとかではなく、純粋に落語が出来た事が嬉しかったんだろうと思います。

志ぐま師匠が、談志のような判断をするかどうかは分からないし、何を選んでも良いと思うけど、”生きる”とはどういう事なのか?
コロナで、いろんな事が制限されたときにも思ったけど、志ぐまの喉頭がんを見て、改めて”生きる”とは何なのか?を考えたくなった。
ジャンプは、毎週のようにたくさんの人が死ぬ描写があるけど、「あかね噺」は、まだ誰も死んでいないのに、”リアルな”死”を感じるのが面白いと思います。

コミュ障すぎる一生
病室に現れた一生から、一門の解散とマイケル以外の弟子には後見人を付ける。あかねの後見人は自分がやると告げられました。
怒涛の展開に驚くわけですが、この決定を現実の落語会ではどうなるか?を考えると、納得できる部分と出来ない部分があります。

納得できる部分は、志ぐまが実質的には師匠としての活動が出来ないので新たに後見人を設けるという部分。
今回の志ぐまは死んではいませんが、師匠が亡くなってしまった場合は、概ねこういう対応になるだろうと思います。
前回にも書きましたが、総領弟子のまいけるが、もっとキャリアがあるなどするか、志ぐまの師匠にあたる先代が未だ現役なら、違う対応になると思いますが、今回のケースだと、一門で面倒を見るのは当然の対応だと思います。

納得できない部分は、決定が早すぎる事です。
志ぐまは、未だ存命であり、師匠は出来ないかもしれませんが、正常な判断を下せる状態です。
志ぐま一門の解散や新たな後見人を付ける事が必要でも、志ぐまや弟子がどうしたいのか?も踏まえて協議する必要はあると思います。
すぐに決める必要もないのだから、志ぐまの意見を聞いて一緒に考えて、それを受けて弟子がどうしたいのか?を聞くという手順を省いてるのは明らかにおかしいと思います。
1週間ぐらいの時間をかけることを、そこまで惜しむのも変だと思います。

ただ、一生というのはこういう人物で、即断即決で無駄が嫌いなんだろうなと思います。
そして、もう一つ思うのは、志ぐまが協議に参加したとしても、この決定に志ぐまが反対しないだろうと思うことです。
自分が師匠としての役目をやりきれない事を受け入れられるかは別として、それを受け入れてしまえば、志ぐま一門が解散になることも、弟子の後見人を一門の落語家が引き受けることも、納得すると思います。
そして、あかねの後見人が一生であることも、”志ぐまの芸”を自分に変わってあかねを指導できる人物は、一生しか存在しないと思っているのではないかと思います。

なので、一生はきちんと噛み砕いて説明してあげたり、志ぐまに対してもいたわる姿勢を見せれば、あかねも飲み込めるのに、なんであんな態度を取るのか?気働きとか了見といった落語の基礎がなって無さすぎだと思いました。

ここまで憎々しい感じだと逆も考えたくなります。「ひょうげもの」で千利休が切腹を命じられた際に、切腹の直前に悪態をつきまくり、処刑人を困らせるという一幕があります。
この時の利休は、誰も気が進まない自分の切腹の処刑を命じられる人の気持ちが少しでも軽くなるように、あえて憎まれるような態度を取って”もてなし”をしたという場面があります。
一生も、あかねの原動力が自分への憎しみにあると思っているのなら、それを無くさせるような事をあえてせず。仇は仇としての自分をあかねに見せ続けているのかもしれません。
ただ、全てにおいて落語の為に傍若無人な振る舞いをしているので、そういう事では無いのかなと思いますけど。
あと、以前も書いたことがあると思うけど、人を慮って空気を読むことだけを第一においている人だけでは、世の中が面白くないと思うので、一生や全生のように、あえて空気を読まない人は守ってあげたいと思います。


今回の感想はここまで、この後も怒涛の展開が続くのか、一旦話が落ち着くのかを楽しみに次回を待ちたいと思います。でわでわ。



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