漠然とした危機感は、どうやって回収して発散して、どうなればいいんだろう
物心ついて史上いちばん、世紀末感のある世の中に生きている気がする。
耳に入るニュースも、SNSに流れるみんなの日常も、毎日の感染者数も、アルカイダが暗殺されても、なんだかうまく処理できないまま、
約束をし、やるべき日に、やるべき日までにやる。
その束の間いろいろ忘れて遊ぶ。
たまにいいことがある、嬉しいこともある。
けれどやっぱり、漠然とした危機感のようなものがふとしたときに浮かんでくる。
・・・・。
でも、世の中がどうであれ、毎日は続いていくから、明日も約束した場所へ行く。
自分のことだけ、考えている?
じゃあ、誰かのために生きれば満足か?って、そうじゃない。
わたしの人生はわたしのもの。
わたしは、楽観的でハッピーで、なんくるないさ~という土台の上に立っている。
でも、正義感でエネルギーを燃やすことや、純粋な眼で未来をみることを疎かにしたくない。
そうやって、ぐるぐると考えていたら、嫌になるので
途中でやめてしまって眠りにつく。
ニュースやSNSの過剰な情報量が辛い方は閲覧を控えて安全地帯に行っていましょう、と言うけれど。
生きている以上、死んでしまわないと、すべてから逃げることなんてできない。
混乱の中で、現実を見ることの辛さ、痛み、恐怖。。。相反して浮かび上がる怖いもの見たさ、刺激中毒。
そうやってグチャッとした頭と身体。
前向きに危機感と向き合うなら、どうしたらいいだろう。
もう、怒ってもいないし、悲しくもない。
ただ「大丈夫だろうか・・・・。」
・・・・。
という、その沈黙をどうしたらいいのさ。