終止符?
学生時代の講師には散々の否定を受けました。
自分がこうしたい、ああしたいデザインに対して、それは売れない、まだその時点か、などと蔑まされたりする事もありました。
そこからはその講師に認められるデザインを考え制作を行いましたが、諦められない自分も僅かに残っていたりと結果的に中途半端な形で卒業に至りました。
いつからか、否定そのものが怖くなっていました。
その人に受け入れてもらえないなら自分が何か変化しなくてはいけない、その人に照準を合わせた自分をつくりあげないといけない、それでも駄目ならその人にとって自分は価値の無いものだ、と。
結局自分自身を抑えられない自分と、他人に合わせようとしてしまう自分が対立して、矛盾して、壊れてしまう。
全てを失って誰かに合わせる必要もなくなれば気にすることもなく自分を出せる。しかしまた誰かが現れる。
その誰かを失いたくないが為、また合わせようとしてしまいの無限ループ。
幾度と陥ったこのループに終止符を打とうと思う。
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何に好意を持って、何に美学を感じるのかを自分にとってのセンスまたは価値観とするのであれば、自分は自分のセンスを誇りに思います。揺るぎ無く自分には自分のセンスがあります。
まごう事ない自分のセンスをよく思ってくださる方がいれば、自分からすればその方もセンスが合い、良いとなります。何もおかしな話ではないです。
これをよく勘違いや自惚れであったりとマイナスイメージにまとめ上げられたりもしますが、それはその人のセンスなのであってそれも間違ってはない、と思います。
それは単純に相容れないだけで、双方人様のセンスに角を立てる必要性もないです。
自分は自分のセンスを大切に生きるだけで、人様に迷惑のかかるわけでもない事に対して邪魔をされる覚えも気にする必要もないのです。
センスとは日々変わり成長するモノです。
自分にはないセンスも、自分にはない価値観も時にはまた、考え受け入れ、自分のセンスに磨きをかけることもできます。
否定から入れば、成長の妨げになるのです。
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散々、他人様に惑わされてきましたが、
散々、他人様に否定されてきましたが、
誰かを失う恐怖より、自分を失う恐怖の方が
ずっと怖かったことを、忘れてはいけない。
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