にわとり?
“鶏が先か卵が先か?”
どちらが先かわからない問題や、どちらが原因とするかわからない問題の際に言われる言葉。
この言葉の正しい答えはさておき、僕自身は“鶏が先”であると考えてきた。
というのも、
鶏単体で卵を生むことができるが、
卵単体で鶏を生むことができないからである。
卵には2種類あって雛に孵ることができる卵と雛に孵らない卵がある。(雛に孵ることができる卵は温める必要がある為、卵単体での孵化は難しい。)
俗に言う、有精卵という卵が生まれた後に雛に孵り、鶏になる。即ちこの有精卵が生まれる為には雄と雌の鶏が必要であり、卵(有精卵)が先にあるとしても因果関係として鶏の存在は無視できないのである。
よって、鶏が先だと僕は思っている。
さておき、
生きていると、結論として「それは鶏が先か、卵が先かの問題でわかんないでしょ〜」と流されてしまうことがある。
本当にそうなのだろうか?
僕は原因を追求したくなる性分であり、有耶無耶にしてしまうことがあまりできない。
仕事上やプライベートでもわからないからと考えることを止めてしまう人達がいると何故考えを放棄してしまうのかが不思議でたまらない。
勿論、情報が足りないからであったり、不確定要素が多い為考えても仕方ない場合も確かにある。
じゃあ何故情報を得ようとしないのか、不確定なものを確する為に紐解いていこうと何故、問題解決に努めようとしないのか。
性格の問題や時間の問題、気分の問題もあるだろう。
そういうことを考えない、考える時間さえも惜しい、
確かにあるとは思う。
しかしはっきりしておきたいのは、
考えてどうにかなることと、考えてもどうしようもないことをしっかり分ける事が大事だと思う。
僕自身、考え悩むことが多い性格。
何でもかんでも悩んで考えていては頭がパンクして何もかもを投げ出してしまいそうになる瞬間がある。
そんな時、この区分けを思い出す。
考えてどうにかなるのか?一人で考えて解決できるのか?相手次第で答えが変わってこないか?
まだ答えが決まっていないものを悩むのは悩み損。
ましてや他人が関与する問題の場合、悩んでいるのはこちらだけかもしれない。
そんな答えが決まっていないものに対して頭を使うのは、時間を使うのは勿体無いことだ。
勿論、考えてもわからないからこそ出来ることもある。
そうならない為に、もしくはそうしたい、そうなりたい為に自分の手で出来ることがあり、それが結果に直結するのであれば考えて行動に移して確率を上げる、という手。
考えているだけでわからないなら試してみる。
行動に移してその結果から得れるものを得る。
そして答えを導きだす。
僕は考え性なので、もっと行動意識を高めてより精度の高い答えを出していける人間になりたい。
たとえ鶏が先でも、
行動に移さないと卵も生まれないのだから_
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