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嫌な記憶はろ過されて消えてしまう

 水に流す、とかいうけれど、
水に流れるように嫌な記憶はどこかへ飛んでしまう。
嫌な記憶はろ過されるんだろう。
汚れはなくなって、
きれいな水だけが残るんだろう。
そして、するりするりときれいな水だけが私の中をめぐっていって、
それは時に悲しくて、でもその記憶が愛しくて。

死んでしまったら思い出が美化されるっていうのは、
本当に本当にずるいなぁって思う。

あんなに嫌いって思ったことが、
「実はこういう気持ちが裏にあったんじゃないか」とか、
何でこんななの?と憎んだことが、
「今思い返せばなんてことないものだった」とか。

ずるいわ、ずるい、
って最近考える。

多分アル中だったんだろうって思う父。
でも、もう今となってはやさしい姿しか浮かんでこないんだからずるい。
本当にずるい。
ずるくて仕方がないって思う。

何でお酒を飲んで鬼の形相をしてた時じゃなくて、
にこにこ笑っていた時の方をたくさん思い出すんだろう。

もっと嫌なところを思い出せたら楽になれるのに、
こんなに泣かなくてすむのに、
とか思ってしまう。

でも、いいところばかり思い浮かぶのは、
これ以上恨まなくていいように、
大好きっていう気持ちだけが残るように、
っていう人間の大切な能力の「忘れる」ってことなんだろうなぁ。

別にすべての人間がそうだとは思わない。
所詮、私はこうやって許せる程度の苦しみだったんだろう。
死では許せないくらいの苦しみを受けた人だっているだろうから、
そこは人それぞれ。

だけど、私の場合はきれいな記憶だけが残っちゃった。
でも、そういう人は多いんだろうと思う。

何であのとき喧嘩しちゃったんだろう、
何でこんな言い方してしまったんだろう、
もしあのときこうしていたら、
とか、そんな後悔ばかりで。

まあ、でもそういうものなんだと思う。


ありきたりだけど、失わないとそのありがたみには気づかない。
死んでしまったあとに都合がいいのかもしれないけれど、
私はお父さんのこと好きだったんだなぁ、
尊敬してたんだなぁって切に思う。

きれいな水を私の中に残してくれてありがとう。
汚い水だらけだったら私は本当に苦しくなっただろうって思う。
今はそこそこキツイけれど、
それでも頑張ろうって思えます。

死後の世界なんて信じるほど信心深い人間でもないし、
もし幽霊とかいたら今の私の姿を見てあなたは悲しむかもしれないけれど、
それでも、もがきたいと思います。
でも、たまに何で死んじゃったの?って八つ当たりをすると思います。
まだまだ泣くと思います。
けど、私はあなたが大好きだったって今は胸を張れます。


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