死ぬ理由がないから生きているだけでもいいし、大切な人のために生きるだけでもいいじゃない
カフェでぼーっとしていた時に、聞くとはなしに隣の2人の話の内容が聞こえた。
「今うちの会社の同僚で友達も彼氏もいなくて、趣味もない人がいるんだけど何のために生きてるんだろうなって思うんだよね。ってか交友でも趣味でもお金使わないなら何で働いてるんだろw」
「たまにそういう人いるよね。あれわからない~絶対つまらないよね」
そんな会話。
すごく単純に、生きる理由もないけれど死ぬ理由もないから生きているだけなのでは?と私は思う。
特別生きる理由もないけれど、死ぬ理由もないから生きてる。そして生きるにはお金が必要だから働いているのでは。
死ぬのって結構勇気がいる。
首に食い込む紐は痛いし、薬は100錠以上アルコールで飲み込んだって死ねやしない。かといってリスカ以上の刃物による傷はなかなか痛いし怖いものがある。死ぬのは勇気もいれば手間もいる。
そんなのに比べれば、生きる理由がなくても人間は生きるのではって思う。
そして、それを飛び越えて死んでしまえる人は、死への面倒臭さや恐怖すら飛び越えた苦痛があったのかもしれない。もしくはそんなことがどうでもよくなるくらい、世界に飽きて飽きて、お別れしてしまいたくなったのかもしれない。
死ぬことが悪いことなのか、今もよくわからない。
自殺は救われないとか、宗教的なのでよく聞くけれど、でも生きてる世界で救われないから死んだのに、死んでまで救われないなんて、最初から存在させずにいてくれればよかったのにと思う。
苦労は買ってまでしなくてよいじゃない。
生きているだけで喜んでくれる人がいて、死んでしまうときっと悲しむ人がいる。そのために生きてる感はある。大切な人が悲しまなくてすみますように、なんて。
それが理由でもいいかもしれない。
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