ないことに適応してしまう自分
ここ1か月くらい携帯が不調で、2~3週間前からほとんど立ち上がらなかったり、立ち上がってもすぐに落ちたりしていた。
それで不便だからすぐに修理に行こうと思わずに、私はないことに適応してしまう。
最近気づいたのだけれど、私は「ない」生活が合ってるみたい。
テレビとか、携帯とか、パソコンとか、なければないでやっていけるようで。
今のパソコンを買うまではパソコンもない状態だった。
ちょっとした調べものはスマホがあればことが足りたし。
必要最低限あれば私は大丈夫なよう。
物欲も少ない。化粧とかお洋服とか、おしゃれは最近楽しいけれど、別にないならないでいい。外に出て恥ずかしくない程度の洋服があればそれでいい。
そんなのが私にとっては普通だったけれど、周りの人と話してみると実は案外そうでもないっぽいっていうのに気づく。
旅行したい(したくないわけではないけど、別にお金とタイミングが合えばでいい)。
服が欲しい(たまにこの服可愛いなってなるくらいで、そこまで欲しいわけでもない)。
美味しいごはんが食べたい(食欲が私がこの中で一番ある欲求かなって思うけど、食べないなら食べないで平気)。
あれば普通に使うし、食べるけど、多分そんなにほしいわけでもない。
欲求がないと、頑張れないなぁって思う。
頑張る意味がないんだもの。
私が一番欲しいものって何だろうって思うと、承認欲求かもしれない。
いや、承認欲求とは違う?
認められたいよりは、誰かの助けになりたい。そんな欲求。認められなくてもいいから、この人生において誰か一人くらいは救いたいって思う。助けたいって思う。
だから、物欲っていうものはあまりなくて(しいて言うなら本が好き)、ないならないでいいじゃん、って適応してしまうから困りもの。あれば使うけど、そこまでほしいわけじゃない。
でも、何かが欲しいって頑張るための活力になるわけだから、そういう欲求を持てるようになりたいなって思うけれどね。
とりあえず携帯を直しにいくところかしらね。