![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/6053900/rectangle_large_b6f122ff87463b663dc452779fc8836c.jpg?width=1200)
エイプリルフール【上】
【真っ赤な嘘を吐く彼女の唇】
昔から君は魅力的な人だった。秘密が多くて、暴きたくなる。だけれど、僕程度じゃのらりくらりとかわされてしまう。
おそらく僕以外にも君に惹かれる人は多かっただろう。
しかし君は真っ赤なバラのように危険な女だったと思う。僕は今でも君のとげに静かに傷つけられている。
「ゆーくん、元気ぃ?」
店を訪ねると僕に笑いかける彼女。
「まあ、ぼちぼち、というか一昨日も来たばかりですよ」
僕は笑みを返しながら席に着く。
ここは夜はバーも兼ねたカフェだ。こじんまりとした小さなカフェ。古いけれど手入れの施された場所。昔聞いたのは、彼女の祖父から受け継いだカフェだということ。そして、彼女の代からバーも始めたということだ。
「あはは、そうね。暇な大学生だこと」
彼女は笑いながらビールを注ぎ始める。でも、多分彼女は気づいている。本当は僕がビールは苦手なこと。でも背伸びをして、大人の彼女に並びたくてビールを飲む。そんな僕の小さなプライドすら君はわかっているのだろうなという気はした。
初めてこの店でビールを飲んだ時に、味が苦手だっていうのが顔に出てたのだ。2回目にも我慢してビールを頼むと、一瞬おやという表情をしてすぐに飲みやすいホワイトビールを「これ、飲みやすくて私のお気に入りなの」と言って出してくれた。
「本当はレポートとかあるんですけどね、息抜きです」
「息抜きばかりねぇ」
彼女はのんびりとした口調でまた笑みを浮かべた。
多分年のころは30前後とかだろう。年の近い女性とは違った魅力があった。若い女性がたんぽぽやパンジーのような愛らしさなら、本当に彼女は真っ赤なバラのような女性なのだ。
そんな印象を受けるのは、彼女の唇には真っ赤な口紅が塗られているからだろう。
嫌な強味のある色ではなく、本当に彼女に似合った色だ。艶やかで、情熱的なのだろうか。いや、情熱とは違うかもしれない。彼女の中から燃え盛る想いは感じられない。ただ、静かに命を燃やす炎のようにも思えた。
「ほかにお客さんいないですからタバコ吸って大丈夫ですよ」
僕はビールを飲みながら言う。
「あはは、ありがとう。じゃあ遠慮なく」
赤のマルボロを取り出す彼女。一度、僕に1本くれたことがあるが、かなり重たくて咳きこんでしまった。それからは何だか自分が子どものように感じられてもらってはいない。だけど練習するかのようにタバコを吸う時はある。もう少し格好つけて吸えるようになってからもう1本もらいたいものだなと思う。
このお店は昼間の方がお客さんが多いようで、夜はあまり他のお客さんと会うことはない。
昼間に来ると案外座れないことも多い。先代の時は夜の営業はしていなかったらしいから、そのイメージもあってあまりお客さんも来ないのだろう。
僕は偶然だったのだと思う。雨の日に傘を忘れて走っていた時に、この店を見つけた。うすぼんやりと明かりのともるこのお店。
その時はまだ二十歳を迎えていなかったからコーヒーしか飲めなかったけれど。店に飛び込んだ瞬間、彼女はあらという表情をしながらタバコの火を消した。
「夜にお客さんが来るの、珍しいの」と笑っていたのを覚えている。その表情に僕の心臓はわしづかみにされたのだ。
それから僕は足繁く通った。もう1年ほどにはなるのだろうか。いつの間にかお酒が飲める年齢になった。
「やっぱり夜はお客さん来ないんですね」
「そうね。まあ、何となく開けてるくらいの感じだから」
10時を過ぎて僕以外のお客さんが来なかったら、彼女はウイスキーのロックを飲み始める。彼女がウイスキーを飲み始めると、僕はハイボールを飲み始める。ロックが飲めるほど僕はお酒が強くないけれど、少しでも長居をしたくてハイボールを飲む。
ウイスキーのロックを飲み続けても顔色一つ変えない彼女は格好いいなと思う。
緩いパーマの黒髪に、真っ赤な口紅。そしていつも黒いシャツに、下半身のラインを出した暗めのデニムパンツ。本当に絵になる。
「あら、もう日付変わっちゃったわよ」
彼女は時計を見ながら僕に伝える。
「いつの間に……レポートしなきゃなぁ」
僕はため息をつく。ここを離れるのが名残惜しい。
「学生はお勉強頑張りなさい」
彼女はタバコを片手に笑った。
そのタバコを持つ手首から、生々しい傷が覗く。おそらくためらい傷というやつだろう。
バラが自分自身のとげで傷ついてしまったような痛々しさを感じた。
彼女は何で苦しんだのだろうか。かなり古い傷なんだろうなぁと僕は思っていた。
僕はお会計を済ませながら、窓の外を見やった。
夜は深い黒色で、何も見えはしない。静かに雨が降る音が店内まで伝わってくるのみだ。
「確か、傘持ってきてなかったわよね」
「来るときは降ってなかったからつい……」
彼女はそう言うとカウンターから出てきて、僕に真っ赤な傘を握らせた。
「あれ、これ……帰りに使うんじゃ?」と言いつつも、内心またお店に来る口実ができたなと思った。
「ああ、別にいいのよ。……私が出る頃には止んでるわよ」
「ありがとうございます」
僕は素直に傘を借りる。そして会計を済ませながら、「本当に帰るまでに止みますかね。結構ひどい雨ですよ」と話しかけた。
「大丈夫だから素直に借りてなさい」
何となく彼女の声はいつもよりもワントーン低い気がした。雨のせいだろうか。
しとしとと落ちる雨の音は落ち着くけれど、心が落ち着くと同時に気持ちが下がるような気もする。
「……何か、大丈夫ですか?」
なぜそんなことを聞いたのかはわからない。
「何が? 大丈夫よ」
何ともおかしそうに笑う彼女。
「いや、ごめんなさい。何となく」
つい謝ってしまう僕。
「もー、そんなすぐに謝る子、私嫌いよ」
彼女は真っ赤な唇を曲げてにっこりと笑った。
「あ、ごめんなさい」と、僕はうっかり口に出してしまう。
「言ったそばから。そんな簡単に謝っちゃダメよ」
「……はい」
僕は何だか恥ずかしくなって、顔をうつむけながら外に出た。
「じゃあ、また」
振り返りざま僕は言った。
「……またね」
彼女は微笑んだ。
そして、それが彼女を見た最後の姿になった。
(続く)