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笑顔を捨てて生きるすゝめ


 どんなにきつい時でも笑っていなさい、だなんてとても残酷な言葉だなと根暗な私は思う。

 きつい時に笑えるポジティブな人間だったら、そもそもそこまで傷つかなかったのではないか。

 別にそれをモットーとしている人がいるのは構わないと思う。

 だけれど、それを強制することは本当に酷なことだと思う。

 例えば私が思い出すのは病床の父の事。母はきっと悪気なく、力づけたくて「病気を追い払うには、無理やりでもいいから笑顔を作るといいよ!」と言って、父に笑いを強要していた。

 そういえば、今手元に残っている父の写真は無理やり笑っている写真だなぁと思って、今となっては切なくなる。

 死ぬかもしれない人間が笑えるのだろうか。

 もちろん、人を心配させたくなくて笑うこともあるだろう。

 でも、せめて心を許せる身内の前でだけは、暗い自分も、怖くて泣き叫ぶ自分も認めてもらいたかったんじゃないか。今となってはそう思う。

 そして、私もそういう経験があったなぁとふと思う。

 父が亡くなってしばらくして、喪失感とか罪悪感で落ち込んでいた時。元カレは「終わったことを後悔しても仕方ない!」とポジティブな言葉を述べて、私を笑顔にしようとしてくれた。

 もちろん、元カレなりの優しさだったんだろうと思う。

 だけれど、私の場合は、きっとそんな落ち込み切ったままの私を受け止めてほしかったんだろうなと思うし、それを伝えればよかったんだろうなとも感じる。

 無理やり笑顔でいることは、少なくとも私にとっては苦痛。

 外で明るくふるまうのは仕方ないにしても、暗い部分を出せる場所は必要なんだなぁとそこで知った。人生の中でも取り返しのつかないところで知ってしまうのは何とも残酷だなぁと思うけれど、仕方ない。


 きつい時でも笑顔でいようとする人と、私のように笑顔を浮かべること自体が苦痛になる人との違いは何だろうか。

 多分、前者は誰にも心配をかけたくない、優しくて強い人なんだろうなと思う。

 私は優しい人間にも、強い人間にもなれないから、きっとこれからはきついときは笑顔を捨てるんだろう。

 無理やり仕立て上げたポジティブで堪えられるほど強い人間じゃないことに気づけたのはきっと大きなことだ。

 私は私のままネガティブでも必死に生きるために笑顔を捨てよう。そして、本当に幸せな時のために最高の笑顔はとっておこうと思う。

「お前は笑顔が素敵だな!」と褒めてくれた父の言葉を胸に。


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