目に見えないものにはまり込んでしまう気持ちがわかった気がする絶望
もともとのネガティブに加えて、父の死。こりゃあ私みたいなやつは絶望祭りですよ。しかも当時付き合ってた元カレには浮気をされて別れるという+α。
私がダメ人間だから父の死に目にも会えないし、元カレにも浮気されたんだよなぁとその時は絶望。父の死で絶望してるときに浮気されちゃうと、私ってダメダメなんだなとかいう思考回路になってたのよね、その時。
(まあ冷静になって考えると、絶望して鬱々してるときに浮気するようなやつだったってことなんだけど)
まあ、その時は色んなことに絶望よ。母親とも喧嘩状態になるし、大学院はお金がなくて中退することになるし。
そんな時、部屋の電気をつけるのも億劫なくらい絶望してた。明るい部屋が悲しい。暗い部屋の中から朝になるにつれて明るくなる空が恨めしい。明るい時に外に出ると無条件で涙が出てくる。正直、あの時は普通の状態じゃなかったと思う。
眠ることもできないけど、ぼーっとしてると考え事をしてしまうから、面白くもないのに夜通しネットサーフィンをしていた。
その時、占いの文字に目が留まる。最近よくあるメールやら文章で占ってくれるというやつ。
無料お試しのものがあったから、気休めにやってみた。そしたら、私の欲しい言葉を吐いてくれるからのめりこんで、課金までしてしまった。まあ、そんなにお金があったわけではないから、5000円分くらいかな?
でも、その時の私はその5000円すら苦しい状態だった、にも関わらず、占いにお金を使った。
今考えるとわけがわからないけれど、そんなものにすがりたくなるくらい絶望してた。
別に占いがダメとかではなく、そのメール占いに関してはたぶんプロがやってるわけじゃないみたいだったから、そんなのにはまってる自分が滑稽だったんだけど。
でも、普段は信じていない占いにはまる自分が今となってはおかしくなる。けれど、あの時はそうなってしまうくらい追い込まれていたんだと思う。
絶望しているとき、目に見えないものにとらわれてしまうことはないかな。
例えば宗教だってそうだと思う。実家自体は仏教だけど、私自身がそうかというと違う。正直、親だって何となくそれまでの宗教を受け継いできただけで、そんなに信仰が厚いとかではないはず。
(まあそういう人も多いんじゃないかな)
どちらかというと私は「神様がいるかどうかはわからないけれど、信じたい人は信じればいい」くらいのスタンス。無宗教、無信仰とまではいかない程度に目に見えないものは信じる。
(例えば目に見えないから、どうせないからって言ってお墓やお地蔵さんとかを蹴らないレベルっていえば伝わるのかな)
その程度だったのに、絶望しきっているといつも以上に目に見えないものを信じてしまう。とらわれてしまうなって思う。
何かにすがりたくなる気持ちだったのかもしれない。今となってはよくわからないけれど、どっちにしろ私は絶望していた。
過度な不幸が一気に来ると、目に見えないものにすがって、どうにか現状を変えたいって思ってしまうのかもしれないよなぁって思う。
私の場合はそのあと、占いじゃなくて人の力に救われたけど、それがなかったらどんどん人間は目に見えないものに囚われていくのかも。
そういえば宗教って苦しい時代に生まれたものだったよなって。それは苦しい状態から救われたかったのかもしれない。政治的な意味合いで発展したこともあるかもしれないけれど。
(宗教をがっつり勉強したわけではないから私の偏見)
例えば、人間っていうものが最初から恵まれた環境にいたとしたら、宗教とか占いとか、はたまた死後の世界とか信じられてきたんだろうか。
絶望と恐怖が目に見えないものを生み出したんじゃないか、だなんて思う今日この頃。