何に対して私は「ごめんなさい」を言い続けているのだろう
私はあまり酒癖が良い方ではないと思う。飲みすぎるとどうしてもネガティブになって泣いてしまう。普段は出せない弱い部分を、酒の力を借りて出してしまう。
そんな自分がとても嫌なのだけれど、それを飛び越えて自分で何も覚えてないくらいに酔うと「ごめんなさい」と言い続けるらしい。
らしいというのは、ほんとに覚えていないからだ。
ちなみにこれは父親が亡くなる前からのこと。
父が亡くなってからだったら、死に目に会えなかったことや、何もできなかったことに対して謝り続けているんだろうと思えるけれど、それ以前からということは他の何かに対して謝り続けているみたいで。
でも、特に心当たりがない。
自分で心当たりが全くないほど、心の深い部分に抱えているしがらみがあるんだろうとかと思う。
そう考えると、深層心理って怖いものだなと思う。
自分でもわからないパンドラの箱を抱えているんだから。
「ごめんなさい」はきっと私のパンドラの箱の絶望の部分なんだろうと思う。でも、もしパンドラの箱なら最後の最後には希望があるんだろうかとも感じる。
そうじゃないと、絶望だらけの心に耐えらえれなくて私は死んでしまうだろう。でも、きっと奥底には希望が眠っているからこそ生きてられる。
私が抱える絶望の理由はわからないけれど、きっとそれを凌駕する希望があるんだろうな。
希望なのか、何かに対する期待なのかはわからないけれど。
たぶん、これからもきっと記憶を失うほど酔えば「ごめんなさい」と泣くんだろう。でも、生きてないと最後の希望の正体はわからないよねって思う。
実際のパンドラの箱だって、絶望が湧いて出たけれど、最後には希望が現れたんだもの。絶望だけで終わらない人生でありますよに。私はパンドラの箱を閉めたりしませんように。
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