天理教見学
最近、初めて天理教の見学に天理に行った感想とか。
天理教に対するイメージは「小学校で『おぢばがえり』って書かれたプリントが毎年配られてたなー」とか、「天理は町ごと天理教のデザインがされてるらしい」とかその程度だった。私は宗教を何も信じておらず、そもそも宗教をあまり理解できないので、見学に誘われて行ってみた。アメリカとかでは宗教を信仰していない人は不道徳な人間だと言われるらしい。不思議。神様や仏様みたいなポジションがなくても、物語がなくても、自分が良いと思うことをやっていけばいいやん?そこに教典とかえらい人とかいらんのちゃう?って私は思う。そこに宗教が絡んでくるのがとにかく謎というか。まぁ要る人には要るっぽい。
そろそろ見学してきた流れとかを書いていく。間違えてるところあったらご指摘いただけるとありがたい。天理教に関してほとんど素人なので。
天理教見学では最初に「ぢば」と呼ばれる聖地に礼拝?をした。天理教は像ではなく、「ぢば」の空間を神聖なものとして拝めるみたいで、その辺はイスラム教に近い。天理教の教会で礼拝する時は一列になって、ぢばの方向に向かって礼拝するらしい。ぢばは建物の中心、周りより低いところにあった。ぢばの周りは一面が畳敷きになっていて、四方八方どこからでも礼拝できる。畳に雑魚寝したら何人寝れるかわからないくらい広かった。(失礼かもしれないけどわかりやすいと思うのでこの例えにしてます)撮影禁止だったので写真は無い。
礼拝は、正座してぢばに向かって四回拍手し、両手を体の横に置いてお辞儀する、というのを繰り返す。天理教は仏教や神道の一種というわけではなく、「諸教」というのに区分されてるらしい。賽銭箱(呼び方違うんかも。要するにお金入れる箱)の置いてあるところとか形も仏教のそれとは全然違っていて、箱は部屋のすみっこに置いてあったし、横長ではなく縦長だった。(めっちゃ写真撮りたかった…観光スポットじゃないからな…すみません…)
ぢばの礼拝を終えると、渡り廊下を歩いて隣の建物へ行った。渡り廊下は木造で、雑巾がけをしている人がちらほらいた。掃除したい人はできるらしい。渡り廊下は回廊になっていて、靴を脱いで大きい建物のほとんどをお参りできる。天理教の教祖は中山みきという方で、その方が今も暮らしているとして毎日お付きの人がご飯とかお風呂を用意してるらしい所もあった。
天理の町は天理教に合った店が沢山あるのは本当だった。たとえば、天理教関連の書籍だけを売っている書店があった。
店内には、パッと見で天理教関連のものとわかる本から、全くそうでないものまであった。日常の中の非日常って感じ。天理教の知識がほぼ無い本好きが行っても余裕で楽しめそうな空間だった。
商店街の散歩を終えると、次は天理教の基礎知識を500円で教えてもらえる講座を受けた。これは予備知識ゼロの人でもわかるように、身近な例から天理教の考え方を教えてくれるものだった。内容を要約する。
この話を聞いて私は正直共感できなかったけど、わかりやすいとは思った。何も出来ない重すぎる病気の人にはいったいどうしろと言うんだろうと思った。そういう人は信者にカウントしないことにしてるのかな、と。「助けられたい」思いと「助けたい」思いは同時に存在しうるとも感じる。たとえば、他の人から頼まれた仕事をいつも受けてしんどくなってる人とか。この場合だと、「同僚の仕事を減らして助けたい」と、「手伝いすぎてしんどい自分を助けてほしい」の両方の気持ちがあるかもしれない。それから、基礎講座を受けてもうひとつ思ったのは、「物事の対処に私は宗教いらないな」ってことだった。助けたいと助けられたいのどっちが大事かとか本当にどうでもいいと思った。私はその時その時の気持ちとマイルールにしたがっていくことをひたすらやっていくだけだから。
なんだか酷く天理教のことを書いてしまったかもしれない。補足しておくが私は共感できなかっただけで、自己理解を深められた気がしたからいい経験だったと思っている。
基礎講座を終えると天理図書館に行った。ここが最高だった。
天理図書館は図書館の中でもひと味違う存在らしい。天理大学の敷地内にあるとはいえ大学の下部組織ではなく、大学と同じような階層にある組織だとか、図書館だけど出版もしてて、日本一レベルの印刷技術が使われているだとか。いたみやすい歴史資料を保存し色んな人から見てもらえるようにするために、本の形にして出版しているらしい。絵はデジタル化するとディスプレーのスペックなどにより色が変わるが、アナログな形である紙を使うとそうならないらしい。研究する上で色が変わってしまうのは大問題らしいので製本の際にはオリジナルと見比べながら色調整していくそう。こだわりすごい。
天理図書館には世界的にも貴重な文化財が何点もある。これはなぜかと言うと、天理教が海外へ布教しようとした時に海外の文化を理解する必要があり調べまくったかららしい。
天理図書館の面白さはその所蔵史料だけではない。建物自体も美しい。建物内は撮影禁止なので写真は無いが、異世界だった。入口を抜けるとすぐ正面にカウンターがあり、その奥の中央には書庫へと繋がる重厚な扉がどっしり構えている。書庫は司書さんしか入れない。ビンテージな風合いの手すりやカウンターとごつい扉はハリーポッターの銀行を彷彿とさせた。壁は壁紙ではなく手塗りされていた。渦をまいた模様がユニークだった。天井からはシャンデリアが2つかかっていた。円筒型で重たそうなので、存在感があった。あんな形のシャンデリアは初めて見た。
天理図書館は「閉架式」という、本棚に来館者が直接アクセス出来ない方法が採用されている。読みたい本があれば司書さんに申し出てとってきてもらう、ということだ。珍しい。もっとも最近は本が多すぎて書庫に入り切らなくなり、開架式と閉架式を併用したような形になっている模様だった。図書館で本が多くなりすぎると捨てることがまあまああるらしいが、天理図書館は資料の保存のため古くなってもそうしないらしい。図書館の役目を全うしようとしていることがよく伝わってきた。
天理図書館は図書館にもかかわらず、本以外の資料もわんさかあった。百万塔陀羅尼や夏目漱石の手書きの原稿、松尾芭蕉の掛け軸、風土記の巻物など、教科書で見たことあるあれこれがあった。事前に連絡しておけば広報の方がガイドしてくれる。この方、説明といい雰囲気といいすばらしかった。ほんわかしてて、おもしろくてわかりやすくて、本当に好きを仕事にした人なんだということが伝わってきた。
図書館のはずなのに博物館にも行った気になれた。これが無料でいいんですか??天理図書館、奈良に来たら必ず寄ろうと思った。もっと有名になってほしい。
今回の発見
この見学を通して発見したことは、「宗教は、マイルールのない人、自分の気持ちがわからない人、又はそれらに従ったけど上手くいかない人が縋るためのキットなのではないか」ということ。私が宗教にピンと来ないのは、自分の気持ちや感覚にしたがってきて上手くいっているからだと思う。特に大きな問題を抱えていない家に生まれ育ったこともあるだろう。あと私は、誰かがこうと決めたことに欠陥がないか血眼で探してしまう癖があるっぽく、その辺も宗教と噛み合わないんだろう。宗教がわからなさすぎて、なんとかわかりたいとは長らく思っていたが、ちょっとは理解が進んだように思う。
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