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いのちの別条の話

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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!

歩くのにも危険は隣にある、という話を前回させていただきました。

自然の世界では歩けなくなることは、死を意味することと同じです。食物連鎖のトップの肉食動物でさえ同じで他の種の動物に狙われてしまいます。動物は獲得しやすいところからまず狙いをつけ捕獲していくものだから弱ったモノ動きの遅い子どもなどに目をつける。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。

動物だって闇雲に狩りをしているのではありませんからね。少しでも成功率をあげカロリーを使わずにカロリーを得たいと言う習性がDNAレベルであるのだと思ったり思わなかったりします。

今の時代の人間は、歩けなくなることが致命傷になると言うことはありません。科学の進化で医療の進化で補助器具の進化で生活は何とかできます。
なんらかのアクシデントで突然ケガなどをし、それなのに治療が出来ないなんてことがあれば致命傷になりかねませんが、それ以外ならばなんとかなるはずです。

戦場などで、致命傷にはならないが兵力を倍奪うなんてことで、地雷なんてモノが開発されたとか。つまりは、殺傷能力はされほど高くはないけれど、負傷した兵士をほっておく置いておくわけにはいきませんから、元気な兵士が基地へと連れて戻らなくてはなりませんので負傷した1人と元気なもう1人を戦場から離脱させることが出来る。と言うことです。

戦争などが終わっても、それは回収されずに残っていたりしますから民間人が負傷させられたり殺傷能力が低いと言っても時には命まで奪ったりしています。

戦争がだいぶ前に終わった日本でも、不発弾などがたまに地中から見つかったニュースなどが今でもたまに報じられたりしますからね。どこに地雷があるなんて埋めたほうすらわからなくなって数10年前のそれが数10年後に誰かを傷付けているかもしれません。

命に別状はなかったからいいことでは全くありません。そりゃ命が助かったのはよかったけれども、何もなく何にも別状がないのがいちばんいいのですから。

地雷を踏まないことが、地雷を埋めないことが、地雷を作らないことがいちばんいいのです。

雨で中止かなと思っていた野球がプレイボールされるので、このあたりで。


ありがとうございます。

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