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恋は言語化からの話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
明文化された暗黙の了解、という話を前回させていただきました。
明文化のことを今どきの言葉にすると、言語化(ゲンゴカ)と言ったり言わなかったりするのでしょうか。それとはまた違う意味合いだったりするのでしょうか。長々ととしたどう表現していいのかわからないような気持ちを一言で表す言葉が言語化。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
と言うことなのでしょうか。
言語化してくれたおかげで、すっきりとした。なんてことが言われることがあったりなかったりします。
スッキリすることは大いにいいことだと思わなかったりします。
男の人が女の人に女の人が男の人に、男の人が男の人に女の人が女の人に、なんだか腹が立つのだけれど、ついつい気になってその人を目で追ってしまう。そうすると、ついついその人を手伝ってあげたくなるけれど、手伝うとまた腹が立つ。なんで手伝ってしまうのだろう?
なんてことを言語化するとどうなるのでしょうか。
ながながだけど、明文化はされています。明文化されたモノをさらにわかりやすく短くしたのもが、言語化なのでしょうか。
ひと言でいえば、それは「恋」だ。なんて言語化されたら、きっとスッキリするのかもしれません。
しかし、恋なのかはまだまだ観察してみなければわからないとも言えたり言えなかったりします。
ただの親切心ということもあったりなかったりします。
協調性というのもあるかもしれません。
仕事関係ならば、早く仕事を覚えてもらったほうが自分がそのぶん楽になるなんて自己の満足感というのもあるかもしれません。
恋と言うモノさまざまな恋があったりなかったりしますから、不純交際から純愛までどれも恋と言えたり言えなかったりします。
何が不純でどれが純愛なんてモノは個々個人で分類はとても違ってきます。
恋と言語化されたことで、ますますわけがわからない状態になることもあったりなかったりします。
その人が結婚をしていれば、たちまち状況は変わってきます。そんな情報はこちらにはありませんから、それはね「「恋」なんだと言われると言語化されると意識が変わり何だか穏やかな状態ではなくなるかもしれません。
結婚していても恋はするだろう。なんてことではありません。
それが恋ならば恋でいいのですが、恋ではないのに恋と言語化されたことによって、それがあたかも恋と勘違いしてしまうのも人間の性だったりします。
ただただ、優しいだけの人だったかもしれません。意識しなければ何もなかったかかもしれません。意識しても何もない人は何もありませんけれど。
恋の半分は勘違いから始まる。なんてことも恋。
昔は今日がお正月でなので、このあたりで。
ありがとうございます。
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