明日には普通のことばの話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
刺さない言葉、という話を前回させていただきました。
鋭いとか切れ味がいいなんて言葉に対して評されることがあったりなかったりします。それが誉め言葉としてもちいられるシーンが場面が多いような気もします。今の時代だからそうなのかもしれません。しかし、鋭利な言葉ですからつかいどころによっては切らなくてもいいものまで。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
切ってしまいます。
今どきは、鈍器なものでも傷つけてしまう。なんてシーンが場面があったりなかったりしますから、なんとも気をつけなければなりません。
鈍器なものでは傷ついているのではなく、打撲を負っているのかもしれませんが、痛いのにはかわりはありませんからね。
そもそも、その鋭いとされる言葉は、モノゴトなどを切ってしまおうと投げかけられた言葉なのでしょうか。
切ってというよりかは、その言葉によって何かしらの解決を望んだものだったりするのでしょうか。
悪意があれば傷つくけれど、なんてことも言われたり言われなかったりしますが、悪意がなくても鋭利なものは傷をつけるものです。
柔らかなものならば、鋭利でなくても傷をつけることは簡単です。
落ち込んでいる人などにかける言葉は、なるべく傷にさわるようなものではないようにと、選んで選んでかけるものです。
そんなときに、鋭い言葉などをかける人のことを、ほめ言葉ではなく逆にデリカシーのない言葉として酷評されます。
たとえ以前に切れ味のいいなんて褒められた同じ言葉だったとしても、それはシーンや場面で全く評価は変わってくるということです。
そんなことを思うと、時代が変われば鋭い言葉も違ってくるということはわかりやすくなるかもしれません。
江戸時代と今では全く違うのはわかります、誰にでもわかりやすくわかるはずです。
「そんな武士がエライだなんておかしい」と江戸時代に言えば鋭い言葉として、受け止める人がいたりいなかったりしますが、今の時代で言えば、普通のことです。
「政治家も会社員も同じ身分だ」というのはどうなのでしょうか。
「普通のこと」と、「いやいや、身分は同じでも・・・」なんて賛否が起きるかもしれません。
しかし、どちらにしても鋭いとは切れ味がいいとはなりません。
昭和の頃ならば、なんて考えるとどうなのでしょう。
今ではどんな言葉が時代が進めば当たり前の言葉として普通の言葉として受け取られるのでしょうか。
天気がいいと気温もあがり日向ぼっこなんてしたくなるので、このあたりで。
ありがとうございます。
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