『おひさまコース』勘違い案件。私は皆んなの『花咲ジジイ』宣言
どうもどうも。kanaiプレートアートナビゲーターをしてます。ワタナベアズサです。
さて。
kanaiプレートアートを描く・基礎講座を受けとるということは、
『イバラの道』から『お日様ポカポカの道』へと自身の人生の旅路の彩りを変えていくということ。
それは自分自身の心のありよう、現実のありようすら変えて行く。
潜在意識を整えることは、顕在意識との綱引きではなく、二人三脚してエンジンの馬力上げてくような感じと今は捉えている。
不要になった感情や、現実をストップさせてしまう体験やトラウマを整理整頓して…
引き出しにしまって…鍵をかけて…
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
はい!ここ!まずってるポイント〜!!!
鍵閉めない!何なら引き出しもいらん!!!
しまうなよ!!!!だしとけ!出しとけ!
日の元へ出さんかーいいっ!!!案件でした。
引き出しにしまった時点で=隠し事・秘事=恥じること=拗らせ案件
ヒャッ!!また拗らせ案件にしてしまうところだったわ!!
kanaiはそうじゃないのよ。まずった、捉え方しくった。
タイトルとして書き起こしたものは全て自分自身の経験で、とても大切な私の一部として存在している。私の選択してきた人生は全てまるっと肯定するのだ。
だから、ありがとうなのだ。
それらは全て、今・これからの“私“が心地の良い人生の旅路を進むに観ていく世界に花を添えていく。
しかしここで私は想う。日向を歩くのだから影は付き物だろうと。
『影=闇ではない。』ここ、強く申しておきたい。
影も愛おしむ情景である。影絵で遊んだあの頃のように。影踏みをして共に楽しんだあの感覚だ。そもそも仲良しだったはずなのだ。
どれもこれもが愛おしい出来事で、経験で、豊かにする事象だ。
微風となって頬を掠める。冷たい小川となり喉を潤す。踏み締めた小石に必要な気づきを得る。木陰を感じ気を休め英気を養いまた歩き出す。
そんなイメージだ。
kanaiは【叶う】・【愛】だ。
全てがこれから進む私に必要なものとなって傍に存在するのだ。
なんてこった。このイメージ大切でした。
だからこそ、脳裏に浮かんだものはとことんkanaiしといたらいいやんって思いません?
大事に棚にしまわんでいいねん!!!出しとこ!出しとこ!
消し去るんじゃないわけです。共に歩むんですよね。
その全てがどんな姿で私を応援してくれるだろう。
その感情がどんな形で花の種となり、栄養となり、水となり花を咲かせるだろう。
そんなふうに思ったなら、浮かび上がる感情との向き合い方も変わるのではないだろうか。
kanaiで新たに息を吹き込む感じ。姿を変えるわけです。
『ヘドロから腐葉土へと変わる』
基礎講座で伝えている大切な部分。
あの闇ってる人ら変身しはんねん!!!びっくりじゃない?!
なんか…全部楽しんだら良くない?いつまでも悲劇のヒロインの部分乗っっててもね…
他人に大盤振る舞いみせびらかすって言うんじゃ無いのよ。
自分自身の問題。自分自身の中で起こる革命よ!それが現実をも変えて行くの。
それらが「愛」に変わった瞬間、波紋が広がり始める。
前までの私はといえば、
クライアントの方がどんなに嫌な思いをしていたとしてもその感情を大事にしたいと切り替えていたり、
描きたくないと感じるなら思い浮かんでいたとしても描かなくてもいいか…って、
時期が来たらやれば…くらいに思っていたし、そう人にも言っていた。
無理することないかぁ〜ぐらいの感じ。
でもです、上記に書いたようなことと捉え直したらば…
せっかっくkanaiと出会ってんなら、んなことしてんと行こうぜ!って切り替えました。
だって変身しはんねんもん。可愛くしてあげたいじゃない。みんな。
愛たいじゃない。私の経験したことだもの。
勿体無いねん!ほんでもって私自身、まぁまぁせっかちやの。
死ぬまでの時間は目に見えないのだから。やれることは全部したい。
欲張りでいいじゃないか!って思ったわけです。
大事に持っとくにも腐ったもん持てってどうする?
何なら全部全部祝福のエネルギーで満たされた花束に変えたくない?
溢れ出そうなもんは配ったらいいやないか!
減らないから。絶対に。配り倒したれ!!!
祝福のエネルギーで満たされた愛の花たちは死ぬまで耐えることなくいくらでも咲き誇るのだ。
これ最高よ。
kanaiのおひさまコースってそんな感じ。花咲ジジィになれるの。
私描いたわよ。
『みんなの花咲ジジイになる』って。
だって、みんなにお花いっぱいの道をスキップしながら進んでほしいから。