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『世界のオワリと砕けたガラス』(エッセイ, 850字)

天気の悪いある週末、私は死にゲーに興じてました。
「パパがゲームをしてるところを観る」といううちの子のリクエストに応え、ニンテンドースイッチで『エンダー・リリーズ』という硬派なアクションゲームをプレイしていました。
ボスの魔女に戦っては負け、戦っては負け……「ボス戦を30回は挑戦するよ」と子どもには言っていたのですが、10回戦を超えたあたりから彼女はさすがに飽きて、「ゲーム実況」のような「おままごと」を始めました。操作キャラの死を意味する「操作キャラがガラスのように砕け散る」演出を、われら二人で何度見たことでしょう。

そんな休日の夕刻、鳴るべきでない携帯電話のベルが鳴って呼び出され、私はとある事故の事後処理にあたることになりました。
車で急ぎ現場に着くと、大惨事とはいかないまでも、まあそれなりのガラスが地面に散乱しています。あれこれ言っても仕方ない――文句を言いたくなる口をつぐんで手を動かすことに専念しました。
陽も落ちて独り、マウンテンパーカーのフードにあたる雨に寒さと淋しさを感じながら、もはや用を為さなくなったガラス戸のガラス片を拾う作業を続けました。当然、ガラスなのでケガをしないよう慎重に扱わねばなりません。ゴム手袋しか持ってこなかったことを後悔しながら、ガラス戸として使っていたころよりずっと丁寧に、私はそれに触りました。

なんとなく私たちは観念的に「形あるものはいずれ壊れて元に戻らない」と思い込んでますが、「壊れて用を為さなくなっても、物はそこにあること」に意外と注意を払っていないのかもしれない。拾い集めたガラスのかけらを見てそんなことを考えたのでした。
廃ビル、無人のアパート、はがれかけのポスター、郵便受けから溢れたダイレクトメール――形のない人間関係でさえ、それが壊れてしまっても、関係の結節点であったモノは変わり、そこにしぶとく存在する――。

作業を済ませると私は急ぎ車に乗り込み、閉店直前のホームセンターに駆け込んでカワテ(革手袋)を新調しよう、『エンダー・リリーズ』は攻略サイトに頼ろう、と考えながら走り出したのでした。

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