86+2(エッセイ, 650字)
列車の中のほどんどの乗客は、みな一様にスマホをいじっている。
そんな中でアナログの本を手に読書をしている客を見ると、太陽のほうをあえて向かないヒマワリのようで、私は勝手に親近感を抱いてしまう。
その人は私と同じ駅で乗り込んだ兄《あん》ちゃんで、向かいのシートに座り、私より一回り大きな体を小さく縮め、少し窮屈そうに俯いて本を読んでいた。
彼の隣にはスーパーのレジ袋。中身は空っぽの麦茶(2Lのペットボトル)。
靴はホームセンターで買えるようなフリーサイズのスリッポン系スニーカー。泥で汚れていた。
よく見ると紺のジャージにも太もも辺りまで乾いた土がこびり付いていて、まさに外で働いてきた帰りであるという証をそこに刻んでいた。
ただズボンの、いわゆる「社会の窓」はバカになっているようだ。
「窓」はパカっと開いていて、中のボクサーパンツまで見えている。
それは、彼の着ている汗に汚れたTシャツと同じ鼠色だった。
下を向いていた本の表紙がチラリと起きて「86」という文字がみえた。
たしか数年前に出版されたラノベのタイトルに『86』というのがあったと記憶している。
ちなみに読み方は「トヨタ・AE86 パンダトレノ」と同じ「ハチロク」ではなく、「エイティー・シックス」だ。
生き残り続ければ、彼はそのエリアを抜け出すことができるのだろうか。
……『エリア88』なら少しはわかるのだが、ラノベの『86』が、面白い小説ならいいなと思わずにはいられなかった。
こんなに蒸し暑いのに、私たち二人にとっての夏はまだ遠い気がした。