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なんだ、私って器用じゃん。(暗示暗示)

(画像お借りします。ありがとうございます。)

え、私って意外と器用じゃない? と思い至り、この考えを心に留めておくべく文章を書き始めました。

「意外と」ということは、自分のことを不器用だと認識していた(している)ということです。生きるのが。自分って生きるの不器用だなって思って生活してきたんです、ついさっきまで。こうやって、不確定なことを言語化してしまうと、本当にそのように思えてきてしまう、ということは重々承知なんですが……なんか「生きるのが不器用」って、私可愛いじゃないですか。それもあって、不器用だと自称していたんです。

でもあれ? 私って意外と器用に生きてない? と思い至りました。ついさっき。最近の私不器用だなと思ったのは、「春休みに何をするか」をゼミの友達と話していたとき。私は就活する年で、こういう精神的負担が大きいことをやりながら何か並行してやるってことが苦手だと思っています。だから、「春休みは就活一本。それ以外に何かをする心の余裕がない」そんなことを話しました。でも友達は、○○の勉強をする、引き続き部活を頑張る、などなど、就活生とは思えないくらいいろんなことをしようとしていました。それを聞いて私は、「やっぱり私は生きるの不器用だな、みんなはなんて器用に生きているんだろう」って思っていました。

いやでも待って、最近の愛読書、いしかわゆきさんの『書く習慣』に

「そもそも心に余裕がないと、好きなものは見つかりにくいと思います。」

と書かれている。

あれ? 私今趣味の時間ばりばり取れてない? ドラマ週に何個見てるんだ? 9bicも推してるね、YouTube見てライブ見てTikTok見て。なにわ男子もゆるく推してるね、YouTube見て、TikTok見て。ゆずもTwitterちゃんと見てるね。QuizKnockも見てるね。趣味に捧げる時間こんなにあるじゃん。結構余裕あるじゃん。

じゃあ私の心の余裕がないと錯覚させる何かは何???

「完璧主義」だ。

私はたぶん完璧主義だ(と言葉にしてしまうことで本当にそのように思えてしまうとさっき書いたばかり)。何かやるべきことがあると、それをやっていないときはだらけている、と自分のことを捉えてしまっている。でも実際、一つの目的があったとしても、休憩していいし、趣味の時間をとってもいいよね。だらけているのではなくて休息だと捉えれば、自分を否定的に見て落ち込むこともなくなりそうだと思えてきた。

そう考えたら、あれ? 私って趣味の時間も取りつつやるべきことを成し遂げようとしている器用な人じゃん??? と思えてきたのです。コペルニクス的転回!!!(使い方合ってる?)

書きたいことは終わりました。

締めの文章に入りたいのですが、『書く習慣』には、そんなこと考えなくていい!(意訳)と書かれていました。なので、なんか気持ち悪いですが、いずれ慣れるだろうということでここで終わりにします!

(2022年1月24日22時15分)

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