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友人が癌で亡くなった

知らせを聞いてからあいつの事をずっと考えてる。

中学生の頃、千葉県の田舎で90年代という時代生も合いまってか、何故かヤンキー擬きとして過ごしていた。
僕の家は溜まり場になっていて、放課後は毎日ヤンキー擬きが集まってタバコを吸ったり、ギターを弾いたり大騒ぎをしていた。
近所の方々には大変なご迷惑お掛けしたと大いに反省するところではあるが、今思うと将来に対する不安や絶望を、勉強や努力で払拭する事もせずに、ただただその日を馬鹿騒ぎする事で埋めていた様な気がする。所謂、居酒屋で上司や家庭の愚痴を言っているおじさんと何も変わらない精神である。
毎日一緒にいたのは大体4〜5人で、インターネットなんか無かったので、雑誌や伝聞を頼りに新しい情報を掻き集め、爪先立ちで流行りに乗ろうとする哀れな中学生だった。

当時はチーマーブームだったので、連中は地元のチームを作ると息巻いて、溜まり場は我が家から地元の駅になった。
僕は生来、人と何かをする事が苦手で、協調性もなく、空気が読めないと言われていたので、そのチームとやらには参加しなかった。

それから奴とは数ヶ月に一度会う程度の仲になり、次第に年に数回、もう何年も会ってないといった具合に疎遠になっていった。

逮捕されたとの話を聞いた事もあった。
今は埼玉に住んでるらしいとか。
どうやら離婚したらしいとか。

地元の奴と仲の良い先輩に会う度にそんな話を聞いて、「あぁそんなんだ〜」くらいに思ってた。

そして先日、同じ先輩から奴が亡くなったとの話を聞いたのだ。

遠い昔、僕達は確実に親友と呼べる間柄だったであろう。もし、あの時に同じ事があったら僕は立ち直れないほど落ち込み、枯れるまで泣いたはずだ。しばらく会っていないからリアリティが無いというのもあるけれど、喪失感に比例するほどの悲しみは感じられてない。
ただ、世界の何処にももうあいつはいないんだなと思うと、あんなことやこんなことがと思い出されるのである。

狡賢く、頭の回転が早く、すらっとしててイケメンでモテて、寂しがり屋で人懐っこいところもあり、クソ憎たらしいが憎めない。

そんなやつだった。

生まれた以上、必ず死ぬことはわかってる。
でも、まぁ、月並みだが早すぎる。

いつか一緒に昔話でもしながら飲むような日が来る気がしていた。
それは叶わぬまま逝ってしまった。
本人もご家族も無念だったと思う。

大切な人や友人には会える時に会っておくべきだ。
僕らは生きている。ということは、いつ死ぬか解らない。
昔聞いていたKOKIAというアーティストの「世界の終わりに」という曲を思い出した。

「伝えたい時にあなたがそこにいるかなんて解らないのに」

そんな歌だった。

最後に会ったのはいつかの正月。
実は、飲んで大喧嘩してそのまま別れたまんまだ。

謝らせてもくれないなんてな。
相変わらず嫌な野郎だよお前は。




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