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書評「偶像に血を通わせるノンフィクションの力─上山明博著『牧野富太郎 花と恋して九〇年』」村上政彦

 萩原朔太郎の友人がいった。「小説は、嘘を本当のようにいうことだろう」。彼は、友人の文学的知見の浅さを嘆いていった。「小説は、本当のことを嘘のようにいうものだ」。
 本当のことを嘘のようにいう――これは小説=フィクションの定義として、要を得ている。では、ノンフィクションの定義とは? 「本当のことで、本当のことをいう」。
 本作は、日本の植物学の父・牧野富太郎の生涯を描く。牧野は、小学校を二年で中退して、独学で植物学者への道を拓いた。
 著者は、この立志伝中の人物をとらえるうえで、五つの課題を設ける。
 第一に、「牧野富太郎がいつ誰と結婚したか、その時期と年齢を確定する」。第二に、「東京大学と牧野富太郎との確執、なかでも矢田部良吉植物学教授と牧野富太郎が対立した原因を探る」。第三に、「牧野富太郎が東京帝国大学を辞職した理由、わけても大学教授の陰謀説の真偽を探る」。第四に、「牧野富太郎を校訂者に起用して植物図鑑の仕掛け人となった名編集者の村越三千男が、なぜ突然富太郎と絶縁することになったか、その理由を検証する」。第五に、「南方熊楠と牧野富太郎は互いに反目する犬猿の仲であると思われてきたが、その真偽を確認する」。
 ノンフィクションでは、本当のことで、本当のことをいわなければならない。まず、証拠となる本当のことをそろえるところから、作業は始まる。
 その過程で、牧野富太郎にとって不都合な事実が現われても、それは本当のことをいうためにきちんと明らかにする。著者は、人間には善いところもあれば悪いところもある、両方を描くことで、立体的な人物が立ちあがると考えている。
 富太郎は、酒造と雑貨商を営む裕福な家・岸屋に生まれた。十九歳で二つ下の猶と結婚。三年後に東京大学理学部植物学教室を訪れて、矢田部良吉主任教授と面会。大学への出入りと、教室の図書、標本など収集した施設を自由に利用する許可を得た。
 東京での暮らしを支えたのは、実家からの送金だった。彼は岸屋の切り盛りを猶に委ね、植物学の研究に没頭。そのなか、菓子屋の娘・寿衛に一目惚れし、同棲するように。富太郎の研究は海外でも評価され、植物学者として名を挙げていく。
 一方、研究のための資金を援助し続けた岸屋の身代は傾き、遂には店仕舞いをすることになる。そのころ富太郎と寿衛には娘が生まれていた。彼は、妻の猶と岸屋の番頭・井上和之助を結婚させ、店を託した。
 これが第一の課題の結論だ。「日本の植物学の父」と敬われる偉人には、このような一面もあった。この事実を知って、牧野富太郎という人物が、実に人間臭く思われた。
本作は、ありのままの牧野富太郎をとらえて、偶像に人間の血を通わせる、ノンフィクションの可能性を、鮮やかに示して見せた。

 村上 政彦
脱原発社会をめざす文学者の会HPより)

文学サロン「『牧野富太郎』を語る」(脱原発社会をめざす文学者の会+日本文藝家協会共催)
上山明博(上左)と村上政彦(上右)日本文藝家協会文学サロンにて

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