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豊かさを巡る旅路に思いを馳せて

3月中旬、お昼に街を歩いていると卒業証書を抱えた高校生とすれ違った。
3月は別れの季節である。

小学校・中学校・高校・大学の最上級生はそれぞれの次のステップへと羽ばたいていく。学校のクラスだって、3月で一区切り。4月からはクラス替えで新しいクラスになる。
3月が期末の企業にとっても、4月は新しい期の始まりであり、多くの人事異動がある可能性がある。社会人にとっても3月は別れの季節なのかもしれない。

私にとってもこの3月は2023年の夏から始まった出会いと充実した日々に一つ区切りがつくタイミングであった。この8か月を通じて、多くの人と出会い、自分自身について多く考えさせられた。
この「卒業」を機に2023年夏から始まった一つの旅路の思い出を振り返ってみようと思う。

注:このnoteは㈱TABIPPOの提供するPOOLO(現:POOLO LIFE)・ライフデザインコースの卒業制作です。

POOLOとの出会い

私が社会人になったのはコロナが発生したちょうど2020年であった。
当時は緊急事態宣言が出され、外出の自粛が求められていた。
そんなこんなで社会人になったスタート時点から、家の中にいることを強いられていた。会社の研修もずっとオンラインで行われており、情勢的に少しだけ落ち着いてきた6月の数日を除くとオンライン。

結局、会社の同期とも直接会ったのは数回のみ。会社の同期と特に関係性を築くこともなかった。外に出ることはあっても、せいぜい大学時代の友人に出会うのみ。新しい人間関係を構築することがなかった。

また、外出の制限に伴い、次第と自身の生活も休みの過ごしさも自然と内に籠りがちになった。そんな暮らしが当たり前になったからこそ、いつしか冒険することが減っていった。
大学時代は空いている時期は海外を中心に旅行に行っていたり、隙があれば街を探検していたりしたが、一歩踏み出すこともなく同じ日々を過ごすのみ。自然と出来ない理由を探していたようにも思う。

そんな日々を過ごすこと数年が経ち、2023年。
この年は年始から挑戦的であった。自身の中で心残りにあった「普通自動車免許の取得」をするべく、1月から土日休みを活用して、自動車学校に通い、無事、免許を取得。

次なる一歩として、「人間関係のアップデート」を図りたいと思っていたところ、Instagramの広告で流れてきたのが、POOLOであった。

私自身、もともと旅は好きであり、活動内容として人と多く話す必要があるらしい。それであれば、「人間関係のアップデート」という自身の望みもかなえられるはずだ。

そう直感で思い、事前説明会を待たずに申し込むことを決めたのであった。
(その後、事前説明会はきちんと聞いた。その際、説明をしてくれた人とはのちに普通に友人になった)

POOLOとは何か?

ここで私の入ったPOOLOについて紹介させていただこう。

「コミュニティ」と聞くと悪い印象を持つ人も少なくない。
この印象があるがゆえに、POOLOに入るか?を悩んでいたという人がいたし、この印象があるがゆえに人に勧めにくいという話を聞いたこともある。
実際、若者に良いことを言ってお金をだまし取るコミュニティが存在するのも事実ではあると思う。(私もそういうコミュニティと接触したことがある)

だからこそ、POOLOとはどのようなコミュニティでどのような人がいるのか?は詳しく説明したいと思う。

POOLOとは㈱TABIPPOが提供する世界を旅した経験をもつミレニアルズから次世代を担う人材を育てる「旅の学校」である。㈱TABIPPOは、旅に対する様々なサービスを提供する企業だ。有名なのはBackpackFESTA等だろう。
もっとも私はメディアとしてTABIPPOを知っていたのみで、それ以上は詳しく知らなかったのだが。

さて、POOLOの掲げるビジョンは以下の通りだ。

世の中を豊かにするニューノーマルトラベラーが育つ

https://tabippo.net/poolo/about/

POOLOが掲げる"ニューノーマルトラベラー"とは、あたらしい旅で自分と世界の豊かさをつくる次世代の旅人である。現在全部で4つ存在するコースを通じて、旅に関わる"ニューノーマルトラベラー"を育成することを目指す。

4つのコースとは以下の通りだ。
・仲間と学んで自分と世界を豊かにするライフデザインコース
・挑戦で地域をアップデートするビジネスリーダーコース
・旅を仕事にするトラベルクリエイター
・地域と生きる自分を創るローカルコーディネーターコース
このうち、私が参加していたのはライフデザインコースであった。

このライフデザインコースだが、私が所属をしていたのは6期である他、noteを書いている時点で7期が始まっている。
最初の方は各期100名近くいたようだが、6期は50名程度。
そう考えるとPOOLO自体、これまでに数百人近い人が参加をしたコミュニティであるということになる。

POOLO6期の活動期間は8か月間。この中で4つのタームに分かれており、各タームごとに定められたテーマに対して、講義を聞いたり、共創活動を進めていくことになる。

各タームのテーマは大まかに以下の通りだ。
・自分の強みや性質を発見しに行く第1ターム、
・世界を豊かにする旅を考える第2ターム
・世界を豊かにするアクションを考える第3ターム
・もう一度、自身について振り返る第4ターム
という構成であった。(私は現在、第4タームの課題としてこのnoteを書いているわけである)

さてPOOLOとしての活動は、基本的に2週間に一度のオンライン講義と各タームごとに行うチーム活動を通じて行うことになる。

講義は各タームのテーマに応じたゲスト講師によって行われる。
このゲスト講師陣も非常に豪華であり、
6期では乙武さんが自身の旅の経験について語ってくれる講義や
「世界は贈与で出来ている」の著者である哲学者の近内悠太さん、
はたまた企業で都農町の町おこしを進める中川敬文さん等
様々な第一人者の話を聞くことが出来る。
そのうえで、講師に直接質問することも出来るし、講義の後には、講義を通じて考えたことを参加者同士で話し合う。

また、各タームにおいてチーム分けがなされ、チームでの活動を進めていくことになる。各タームそれぞれにおいて共創活動を進めるための課題が課され、その課題をチームメンバーで考えていくことになる。

6期で課されたテーマを記憶の限りで一例に出すと、
・第2タームは 豊かな世界をつくる旅
・第3タームは 豊かな世界を作るためのアクション であった。
そんな課題に対し、個々の価値観をぶつけ合いながらチームとしての一つの答えを出し、各タームの最後に発表する。

各チームの人数は3~4名。チーム活動への関わり方も自己申告制で伝えることが出来、同程度の熱量を持った近い生活リズムの人と共に、それぞれの日常の合間を縫って進めることになる。例えば、各々仕事を終えた夜の21時や22時頃にオンラインで集合し、話し合いながら、活動を進める。
さながら学生時代のグループ学習に近いかもしれない。

チーム活動は初対面の人同士で進めることになるが、初対面の人と
だとそんなに上手く話せないって?その点もご安心!
チーム活動を促す立場として、(6期の場合は)過去のPOOLO卒業生が務めるコミュマネがコミュニケーションやチーム活動が円滑に進むようサポートしてくれる。
そうやってコミュマネの力も借りながら、各タームの最後の発表に向けて準備を進めていくことになる。

その他、1on1が推奨される。各ターム・同じチームになるのは2~3名。
しかし一方で、POOLOの参加者自体は数十名単位でいる。
そんなチーム活動をしない他のメンバーとも1対1で話をしてみようというわけだ。

以上が、運営側から促されつつもPOOLOで行う基本的な活動である。

あとは自由だ。参加者同士で何をしようがどこに行こうが構わない。
・・・というかこの課外活動こそ、POOLOの本質な気もするが(笑)

特にこのPOOLO6期はこの課外活動に対する熱量が半端ない。
毎週どこかしら旅に行く企画が立っているし、キャンプや登山に行くといった旅と聞いて直接連想される企画だけではない。
スカイダイビングやパラグライダーに挑戦しに行っている人たちもいれば、オンラインで朝活をしていたり、ボドゲしたり、アロマのワークショップを開いていたり・・・

結果、講義のみならず、課外活動も含めて一つ一つを拾っていこうとすると平日・休みを問わず、日々がとんでもなく充実することになる。

つづいてPOOLOの参加者の特徴について紹介しておこう。

POOLOにはどんな人がいるのか?

ここでPOOLO6期にどのような人が参加をしていたか?について触れたいと思う。

人数は50名超。そのうち、離脱者はほぼおらず、アクティブな参加者が40名超いる。おかしい。

平均年齢はおそらく27〜28程度だろう。
最年少は大学と専門学校を掛け持ちしている学生、最年長はどこにでも出没する"どこでもドア"な30代後半の人であり、社会人が殆どを占める。

個々の仕事も様々だ。
フリーランスやノマド薬剤師といった人たちもいたが、意外と会社勤めの人が多い。その他、看護師、臨床検査技師の人なんかもいる。

そして割と高学歴で早慶や国立大卒の人も普通にいる。

住んでいる地域として、6期は関東周辺在住の人が多かったが、北は東北から南は沖縄や宮古島、台湾に魅せられて台湾ノマドをしようとしている人なんかもいた。

参加者の特徴としては、旅や海外が好きという価値観を持ちつつも、何かしらの悩みや暗い時期を経てたどり着いている人が多い。
例えば、自身のキャリアの行き先に悩んでいたり、様々な形での別れがあったり、はたまた自身としての苦境を乗り越えたばかりであったり…

その為なのか、優しい人が多い。否、多いどころの話ではない。優しい人「しか」いない。心理的安全性が高すぎる。過去に他のコミュニティに参加をした人でさえ、そのようなことを言っているのだから、間違いなくそうなのだろう。

そんな人々と自分について語りつつ、一緒に様々な体験をすることで深い関係性を築いていく。特にPOOLO6期は前述の通り、企画に対する熱量が半端ない。企画者が10名超はいるし、毎週何かしらやっている。

その結果、POOLO6期というコミュニティの持つ熱は凄まじく、8ヶ月とは思えないほどの信頼に満ちた人間関係を築くことが出来た。それが離脱率の低い要因であろう。

せっかくなのでPOOLO6期の愉快な仲間たちのことについても、もう少し具体的に紹介しておこう。このコミュニティにはどのような価値観を持った人がいるのか?

POOLOで出会った愉快な仲間たち

1人目

その人は「マリ共和国に行きたい」と言っていた。
「自分の名前がマリだから」それ以上の理由はない。
おそらく、マリは6期の中で一番エピソードトークの密度が濃い。
唐突に鳥取のセネガル相撲のイベントのお誘いをしてくるし、
象使いの免許は就職活動で役に立つ資格らしいし、
お金がなければヒッチハイクで目的地まで帰る
ツッコミどころが渋滞している。
そんなマリをもってしても、マリ共和国へ踏み出すことは容易ではなかったようだ。
外務省の海外安全ページを見ると、マリは真っ赤だ。
日本国は退避勧告を出している。マリ共和国の情勢が回復しない限り、マリへ行くことは現実的ではないが、その時はいつくるかもわからない。
足踏みしていたって何も変わりはしない。
だからこそ、POOLO期間中に、本当にマリ共和国に行くことを心に決め、仕事を辞め、家を解約したのだ。
そんな、マリが自身の荒唐無稽な夢を実現する為に取った手段は、
「マリに行きたいことを日本にいる著名なマリ人の方に直談判すること」であった。おそらく、今の日本で出来る最善の手段であろう。
その結果、一緒に行くという算段を取り付けて、2023年末、マリは本当にマリ共和国に行ってしまった。
もちろん、彼女には人から愛される・応援される資質があるのも間違いないが、その行動力にはただ驚かされた。
このnoteを書いている時点で、マリは今もなおマリ共和国にいる。
どうやらマリでマリさんとマッサージ屋を開く準備をしているらしい。
その行動力と愛され力で、あいも変わらず「どうしてそうなった!?」と突っ込みたくなるような日々を過ごしながら。

2人目

彼は地元・兵庫を愛する。
休日ともなれば兵庫を巡り、自然や街並み、時にはお祭りや儀礼を愉しむ。
彼曰く、「大学時代にみんなが海外旅行を志向する中で逆張り的に国内に目を向けた結果、地元の良さに気がついた」らしい。
その愛は本物で彼のインスタアカウントは兵庫県の写真と時々行く日本各地の写真に満ち溢れている他、自らフリーペーパーを作成し、なんなら地元で旅の展示会まで開いてしまった。
(そしてその展示会に十数名でおしかけた)
そんな彼に対する我々がつけた愛称は"巨匠"である。
兵庫を愛する我らが巨匠は4月から大人の島留学で島根県の隠岐諸島に行くらしい。
自身の地元を見つめ直すべく、距離をとって考える為に。

3人目

その人は自分の好きを追求する。
自分の住みたい国に住み、自分のしたい仕事をし、自分の好きを追求する。
その過程で思い悩んだようだが、外野からはそんな様子はうかがえない。
そんな彼が愛するのがルイーザコーヒーだ。
ルイーザコーヒーをご存知だろうか?
ルイーザコーヒーとは台湾のコーヒーチェーン店であり、サードプレイス的なオシャレで雰囲気の良いカフェだ。
そして何より、WiFi完備で全席にコンセントがついているという作業者に優しいカフェだ。
彼はルイーザコーヒーを溺愛する。
通った店舗は自身のnoteに記録として書き留めており、あまりにも膨大なルイーザコーヒーガイドが出来上がりつつある。
その愛の結晶は、検索順位としても目に見える形で現れ、ルイーザコーヒーで日本語検索した際のSEOで彼のnoteに勝るものが存在しない。
他にもルイーザコーヒーの海外出店を祝してDMを送って返信が返ってくると喜び、日本にルイーザコーヒーを持ち込むアンバサダーになる気満々だ。
そんな彼は自身が好きな環境として、台湾でノマド生活をしていたのだが、つい最近、台湾でパートナーを作ってしまい、いよいよ台湾移住が現実的なものとなってきた。そんな2人を結びつけたものもまた、ルイーザコーヒーという共通の話題だったらしい。完全にやってもろてる。

そういえば、人生でやりたいことに「シュールストレミングを食べたい」を掲げる彼からはこんなことを言われている。
「臭臭鍋を食べてないんですか?じゃあ、また台湾に食べに来てくださいよ」
先日の台湾年越しの際、揚げ臭豆腐をクリアした私は、どうやら次は臭豆腐の鍋を食べに台湾に行かないといけないらしい。
やはりやってもろてるって。

他にも、
・スナックで手伝いとして働いている人
・民芸品や工芸品が好きで行く先々で買っている人
・どこにでもオタマトーンとボドゲを持ってくる人
等々 一人一人の要素を切り取るとそう簡単には会えないような人が多い。

そんな人々と知り合い、共に様々な経験をし、語り合う。
それこそがPOOLOの醍醐味の一つであろう。

POOLOでの活動の思い出

箇条書きにすると次のようなことをしていた。

・自転車で深夜の東京の道路を走り、川崎の工場の夜景と羽田空港で日の出を見た。
・高円寺で阿波踊りを見た。
・パラグアイ料理のお店とアフガニスタン料理のお店とムーガタ食べに行った。
・スポッチャに行った。
・九龍ジェネリックロマンスを貸してもらって読んだ。
・深夜の東京を歩いた。
・タコスとたこ焼きのWミーニングなタコパをした。
・「正欲」が流行っていたから読んだ。
・台湾で年を越した。
・チームメンバーに会いに名古屋に行った。
・時々、都内のシェア畑で農作業をした。
・秩父に旅行に行った。
・2.5次元の誘惑の話で盛り上がった。
・淡路島に旅行に行った。
・スナックデビューした。
・最高のポトフを堪能した。
・ボドゲカフェ行った。
・ディズニーランドに行った。
・地下謎に挑戦をした。
思い返すだけで、いろんなことをした8か月であった。

この活動の中で感じたこともあり、それについても書きたいのだが、そこまで触れてしまうとあまりにもボリュームが膨らみぎてしまう。
なので、ここでは割愛をしたい。

自分にとって印象的だったイベント・深夜徘徊や自身の企画をした年越し台湾企画等の思い出は気が向いたらnoteに書こうと思う。

POOLOを通じて考えていたこと

開始当初に考えていたこと

そんなPOOLO活動を通じて、自分は何を考え、どのような思いに至ったのか?ここから先は壮大な自分語りにお付き合い願おう。

冒頭で書いた通り、私は「人間関係のアップデートが出来たら」と思ってPOOLOに入った。そんな中で最初のタームのテーマが自己理解であった。

・自分は何を強みとしているのだろうか?
・自分は何が好きで何がしたいのだろうか?
そういった問いをストリングスファインダーや自己の過去の経験から振り返って考える。それが第1タームの主な内容だ。

そのうち、前者に関しては、自身の中で漠然と理解をしていた。

・対サポートという面で本領を発揮するタイプの人間で、
・プライベートでも企画や幹事をしがち、
・企画したり調べたり考えて答えを探したりすることが好きで得意。
・調べながら自分の力である程度は取り組めてしまう器用さもある。(運動系以外は)

そんな自身の強みは仕事上でもある程度活かせていたし、
実際、その企画力・発想力はPOOLOの初期から活かしていた。

それが、「世界食の会」である。

POOLOにおいても交流は大事になる。人と仲良くなるにおいては、直接会って飲みながらでも話した方が良いに違いない。
・・・が、ただ単に飲みに行くというのもつまらない。
そこで「都内にある世界の料理が食べられるお店に行く」という目的で集まる機会を提供することにした。
相手は旅人たち、世界の料理にだって関心があるはずだ。だからこそ、ニーズがあるに違いない。この会は8か月の期間で3~4回程度開かれており、各回10名超は参加をしてくれていたし、交流の機会として有効に機能していた。

このようにニーズを掴んで、"みんなに楽しんでもらえるような"企画を考えることは得意だし、明確な強みだと認識をしていた。

だからこそ、私にとって自身の強みを探すといった観点では全く響かなかった。第1タームのまとめで話をしていた時に、「自分の想像を超えてこなかった」という感想を残したことを覚えている。

一方で後者の質問、「自分が何が好きで、何がしたいのか?」に関しては、明確な答えは出せなかった。

他の人の意見も参考に調整しながら無意識レベルで最善手を選び、全体最適を図ってしまう。自身の思いの中で、他の人が怒っていたり、つまらなそうにしているのが嫌だという思いがあるからこそなおさらだ。
さらに、そうなるように勝手に責任感を背負ってしまう。

日常的にそんな風に生きているからこそ、「じゃあ自分のお好きにどうぞ」と言われたときに困ってしまうのだ。
全体最適を取りすぎた代償として、自分の「したい」感覚が麻痺しているという表現が正しいかもしれない。

なので、第1タームの自己ビジョン発表でも、「自分のしたいと思えることを探す」ことを掲げたような記憶がある。
POOLOで出会った多くの人たちとの対話の時間の始まりだ。

共に考える

さて、POOLOを通して行われる活動においては、自然と人とのかかわり方や自分自身について考えさせられることが多い。

例えば、1on1で1対1で話をしているとしよう
第1タームから自分のビジョンについて考えているからこそ、自然とそういう話題になる。それぞれの悩みなんかの話にもなったりするし、人の話を聞いて、「じゃあ、こうすればいいんじゃない?」という話をする一方、提供する側としても考えさせられることが多い。

チーム活動でもそうだ。バックグラウンドの異なる様々な人たちと共創活動をするには、一人一人の異なる考えを聞き、考えを受け入れつつ、自身の立ち回りも調整をしなければならない。
せっかくなので、第1タームから第4タームまで一つ一つ振り返ってみよう。

第1タームは手探りの日々。始まったばかりでPOOLOとの距離感も個々との関わり方もわからないので、探りながら話し合いを進める。
当時はとりとめのないことしか話をしていなかった。出会ったのは新宿でカフェに行った1回きり。メンバー4人のうち、1人はほぼ現れない等、正直、チーム活動としての印象があまり残っていない。ただし、終盤になった今、改めて個々の立ち位置を考えると尋常なく「濃い」人選のチームである。個々が後々開花したといって過言はないのだろう。

第2タームは未知との遭遇。自身のしたいことを追求して日本を飛び回り、「マリ共和国に行きたい」というとんでもない夢を実現するためにひた走るマリと出会った。そんなマリの話を聞いていると、呆れる一方で不思議と何でもやろうと思えばできるような気さえしてきた。
共創活動としては真面目で野心を抱えた登山家と秋田の酒飲みと一緒に豊かな旅について考えた。個々の良さを活かしつつ、マリの爆発力も参考しながら、ワクワクするような旅を構想した。
そういえば、この時に考えた隠岐諸島への旅もいつか実現させなければ。

第3タームは悩みながら。これまでのチーム活動では引っ張ってきたんだろうなというメンバーが4人集まったチーム。チーム活動に対して意欲的なのだが、真面目すぎるあまりにアイデアが出てこず煮詰まってしまう。
どうしたらチームの雰囲気がゆるくなるだろうね、という会話が生まれてしまうチームだ。世界を豊かにする方法として私たちが考えたのは「コミュニティの存在」であった。POOLO以外のコミュニティの存在を知ることが出来たし、真面目がゆえにすごく議論も弾んだ。共有用の資料がまさかの23MBもあるのは、その成果といっても過言ではないだろう。
このチーム活動を通じて知ったことは、POOLOが終わった後の次の行先を考えるヒントとして大いに役に立つだろう。

24MBある問題作

第4タームは、再結成。第1タームの自己ビジョンに対する発表を行う講義の前週の土日に渋谷で一緒に話し合っていたメンバーを集めてみた。
第4タームが改めて、自分を振り返るタームであるがゆえに、当時を知るからこそ、今と比較してみると面白いのでは?そう思って集めたメンバーのはずが、見えてきたのはこれまでうかがい知ることの出来なかった"顔”であった。8か月間を通じて何度も顔を合わせて、話すことのあった信頼感のあるメンバーだからこそ、初めて腹を割って話すことが出来たのかもしれない。
第4タームで得た唯一の後悔は、「朝ドラのブギウギを最初から見ておけば良かった」ということだ。

このように計4回のチーム活動を通じて、それぞれの話を聞き、話し合う中で自分の振る舞いについても自然と考えさせられる。

更に、POOLOの素敵なところは、コミュニティの中で発揮する自身の良さを、感じるがままに直接言葉にして伝えてくれるところにあると思う。
一緒に旅行をしていると、個々の旅行スタイルが異なる一方で、個々の良さが輝く場面が訪れる。
それを感謝や褒めという形で積極的に口に出してくれるのだ。

当然、その旅行中に誰かが誕生日を迎えれば、みんなで祝う。
8か月の間、何度、誕生日メッセージを書くための寄せ書きの記入依頼が回ってきたことか。

そんな彼らと沢山話をして、一緒に何かをしていると自然と前向きな気持ちになってくる。そのうえで自分のあり方を考えるからこそ、その方向性も自然と前向きになってくるような気がしてきた。

「自分は何がしたいのか?」という問いへの回答

さて、「自分は果たして何がしたいのか?」
第1ターム同様にこの問いが今、自分の目の前に立ちふさがっている。

第1タームの時の私の回答は、「私は強みは理解しているが、自分のしたいことは特にない。だからこそ、自分のしたいことを探す」であった。

あの時から半年近い月日が経った。結論、「自分のしたいこと」を探すという問いに対する明確な答えはいまだに見つかってはいない。

他の人の卒業制作を読んでいると、中には、「じゃあ4月からはこういう方向で進む」と明確に書いている人もいるが、私自身、胸を張ってそう言えるものがあるわけではない。

「これが好きだ」「こうなりたい」そう言えるだけの明確な自分軸を持つ人を私は羨ましく思う。様々な活動を通じて、一人一人の良さに触れる中で、そんな一人一人の良さが見えてきて、時には自分の無さに劣等感を感じることがあったのも事実だ。

きっと私は強い「個」が欲しいのだ。
確立した何か、自分はこういう人間である と言い張れることが欲しいのだ。ただし、全体最適を取るために時に自分の思いに蓋をする選択肢を取り続けた代償はそう簡単に解消するものでもなかった。

ただ、「それでも良いんじゃない?」そう思えるきっかけがあったのは事実だ。

人ありきという私の性質

そう思えたきっかけは、第4ターム中、チームのあるメンバーと対話をしてい中で貰ったこんな一言だ。

あつかんって人ありきだよね

この言葉が自分の中でものすごくしっくりときた。

思い返すと、世界食の会は「個々が集まって話せる機会」を提供するために始めたことであった。
1月に行った会でも「新年になって新しく関東に引っ越してきた人の歓迎会」プラス「後半になってから積極的に関わるようになった人たちに交流の機会を持ってもらうため」である。
企画した年越し台湾だって、「私が進めた方がきっと実現に近づくから」という思いもあったし、行先を決めるのにも、「みんなの意見を聞き、その声に従って、自分が推していたタイという選択肢を捨ててまで台湾を選んだ」
「みんなが集まりやすいようにコアタイムを12月31日の夕方から翌日までにした」等々・・・

私が考える行動やアイデアは、いずれも人ありきで考えられている。
そしてその選択肢を取ることを嫌々やっているのではなく、その結果を通じて、喜んで楽しんでほしいからこそ、当の本人は面白がってやっているのだ。

その人からのフィードバックにはこんなことが書かれていた。

自分要素の足らなさを感じていそうだけど、人をサポートできること、
それこそがあつかんらしさだと思った!

実際に貰ったフィードバックより

自分自身としては強い「個」が欲しいと願っている。
自身のwant toを考えようというのが第1タームの話であったし、そのwant toは、自己完結をしてなきゃいけないような気もする。

でも、一方で人を思い、人のために動けることも立派な自分の強みだし、「人ありき」で考えるという前提をそのまま受け入れて良いのではないか?
その1on1は、そう私を後押しをしてくれた。

「自分のしたい」を探すために

「人ありき」という前提を受け入れたとはいえ、自分の「want to」を見つけていきたいというのは事実だ。

今はまだ、明確なアンサーを持てないからこそ、代わりに、今まで以上に自分のしたいこと・感性に従ってみようじゃないか、今はそう思っている。
自身がやりたいと過去思っていたり、理想として描いていたものの、心の奥底で蓋をしていたことから逃げずに向き合うのだ。

更に、あるきっかけがあって、第4タームの期間に「死」について考えさせられた。だからこそ強く思えた。人はいつか死ぬのだ。ならば、出来るだけ自分にとって理想の生を過ごさないとあまりに勿体無いではないか。

自分が以前描いていた「want to」とは何があるだろうか?

例えば「インドのラダックに行くこと」がある。

ラダックから行ける湖・パンゴンツォ

ラダックはインド北部・標高3,500メートルにある秘境で、チベット仏教の文化と暮らしの残る非常にユニークなエリアだ。
大学時代・ふとしたきっかけで「懐かしい未来」という本を読み、ラダックという地域の存在を知った。そして、その風景やチベット仏教の寺院群には関心を持ち、いつか行ってみたいと思った。但し、場所が場所だ。ラダックに行くにはそれなりの日数も必要だし、冬は極寒の地である為、行ける時期も限られている。だからこそ、自然と諦めていた。

つい先日、SNSを見ていて、ラダックの話が流れてきた。
行くならば「今」かもしれない。そうじゃなければいつ行く?
自分の心に従い、今年のやることの一つとして決めた。

そういえば、ヨーロッパは未だ上陸していないし、スペイン巡礼も結局やってない。世界への憬れを作ってくれたウユニ塩湖にも行ってない。
マチュピチュにも行っていない。そういえば、アメリカにだってまだ上陸はしていない。メキシコにだってもう一回行きたいし、なんなら死者の日のメキシコを見たい。

国内にも行ったことないこと・やったことないこと、色々あるはずだ。
街を歩いている中、日常のふとした時に、心惹かれる何かに出会えるかもしれない。

別に明確な道筋なんてないけれども、自分の中の気まぐれな好奇心に従って、その好奇心のままに突き進んだって良いじゃない。
どこか自分の奥底に沈めていた自分のしたいことを掘り起こしながら、

そんな「want to」の萌芽さえ見えれば、あとはそれを叶えるために、実現に向けたアクションを取っていけばよいだけだ。

人ありきという自身の性質を受け入れ、自分の気まぐれな好奇心に従うと決めた。そのうえで改めて自分の心に問う。
自分の描く理想とは果たして何なのだろうか?

その答えは、POOLOに入るにあたっても思ったことではあるし、実は最初からそばにあったものであった。

人ありきな私の自己ビジョン

それは、POOLOの活動を通じて、突如として湧き出たものではなく、ずっと自身の心の中にあったアイデアだ。

話は大学時代にさかのぼる。

貧困についての本を読み漁っていた中で、私はある一つの考えに出会った。
それが「溜め」の考えだ。
詳細な箇所の記憶が曖昧なので、ざっくりと説明すると、「溜め」の有無が有事の際に貧困に一気に落ちてしまうか否かを決めるというアイデアだ。

溜めの例として、お金の溜めがある。ある程度の貯金があれば、なんらかの事情で収入減を失ったとしても、立て直すまでの期間、生活するに足るお金はあるし、余裕もある。一方でもし、お金の溜めがなければ、一気にどん底に落ちてしまう可能性もある。

「溜め」には他にもいろいろあったはずなのだが、残念ながらほとんど覚えていない。ただし、自分の中で得に印象に残っているのが「人間関係の溜め」だ。貧困に陥ってしまった人の性質として、相談できる・信頼できる人がいないために必要なアドバイス等を得られず、人に頼ることも出来ないためにどん底に陥ってしまうという傾向がある。裏を返せば、信頼できる人間関係があれば、何かあった際も頼ることが出来、最悪の事態は避けられるかもしれない。人間関係の溜めは、人との関係性さえ維持することが出来れば構築可能な最低限な溜めであると当時の私は解釈をした。

溜めの理論を書いていた著者は人間関係を船の「もやい結び」に例えていたと記憶をしている。なのでその著者の主宰する貧困支援団体の名前は"もやいの会”であったりする。

この人間関係を築いたうえで生きていく生き方を、一連の話を経て、私は「もやいで生きていく」と名付けた。この「もやいで生きる」ということこそが私がずっと温めているアイデア・自己ビジョンである。

私の「もやいで生きる」アイデアは、貧困に対する人間関係の溜めの話から一歩前進する。

社会人になると自然と人間の関係性は希薄になるような気がしている。
SNSは人々間のコミュニケーションを豊かにしたが、ご近所付き合いや地域に根付くことが当然であった過去のほうが、より人に頼ることが出来、人間関係の溜めも強固であったと私は考える。

一度生まれた人間関係を疎遠にすることなく、緩やかに維持していく。
そのうえで、時には助け、助けられながら、人生を共に楽しみながら生きていく。結婚した・子供が出来た・子供が大きくなった等、ライフスパンによって様々な悩みが出てくるかもしれない。そういった悩みを共有しつつ、一緒にクリアしながら生きる。そしてその時々、その年代に応じた楽しみ方で全力で遊ぶ。

そういった関係性を築ける人が多いほどに、きっと自分の生も豊かになるに違いない。その結果、友人が地球の反対側にいたり、旅行先となる場所にいたり、そうやって日本各地・世界各地に繋がりを築けた方が面白いじゃないか。

私はきっと孤独に生きたくもないし、孤独に死にたくもない。
人と共にありたいのだ。それが私の考える「もやいで生きる」という理想だ。

そんな「もやいで生きる」関係性はいつか築けたらとは思っていた。
そしてこのアイデアはもしかしたら、POOLOというコミュニティで生まれた関係性の中では実現できるかもしれない。だからこそ、ここで前面に出すことに決めた。

さらに言えば、「個々の抱える理想や夢を支援したい」という想いもある。

私は人をサポートすることで強みを発揮出来ると思っている。
もし、自分の力を必要としてくれる人がいれば、その人が進むその道を全力で支援したい。そうすれば、一つ一つの夢の行く末を一緒に追うことが出来る。そうやって、色んな夢の先が見てみたい。ある意味で私は欲張りなのだ。

もやいで生きる」「個々の抱える理想や夢を支援したい
その実現のためには、自分の力では解決できない。人ありきだ。
そして具体的でもない。さらに言えば、それを実現する具体的な術も関係性も現時点では持ち合わせてない。
だからこそ、これまで表に出すことはなかったが、今ここで改めて、自分の理想として掲げたいと思う。

最後に

結局のところ、私はPOOLOを通じて、明確に「自分が○○したい」と思える何かを見つけられたわけではなかった。
もやいで生きる」というアイデアだって今、生まれたわけでもない。
ずっと根底にあったものを表に引っ張り出してきただけだ。

それでも、POOLOでの8か月間を通じて、多くの仲間と触れ合い、対話をし、自分の出来る価値を提供していく中で、自分がこれまで培ってきて得た何かを「人ありき」という明確な自らの性質として受け入れてくれた。

第4タームの発表の中で、この「人ありき」の自分の話をした時も、みんなは肯定してくれたし、この「人ありき」な性質に救われたとさえ言ってくれた。

自分の「want to」を探すための旅路はまだまだ続く。
自身の気まぐれな好奇心に従ってふらふらとその旅路を歩みながらも、「人ありき」な自分の強みを発揮し、そんな発想の中から生まれる自分の理想を追求していきたい。これがきっと今の自分の考える答えだ。

そして「もやいで生きる」自身の理想に近づけるために、POOLO6期が終了した後も、引き続き、自分の出来る何かを提供していきたい。
より強固な関係が築けるように、新たな出会いに巡り合えるように。

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POOLOでの8か月を通じて、想像以上に新しい関係性を築くことが出来、様々なきっかけをいただけたことには感謝をしています。
おかげさまで、これまで出会うこともなかったし、POOLOを通じて、同じ時を過ごしていないと出会うことさえなかったであろう人たちに出会うことが出来ました。年上の友人たちが沢山できたし、名古屋をはじめ、全国に大切な友人が出来ました。3月末に卒業したとしても、関係性が続くことを信じて、私としても提供できることは提供していくつもりですし、何なら構想は既にあります。
ぜひ、POOLO6期のみんなおよびPOOLO、いやタビッポ関係者の皆様におかれましては、またどこかでお会いしましょう!

そして、POOLO以外から、このnoteを読まれた方がおられましたら、壮大な自分語りにお付き合いをいただき、ここまでお読みいただきありがとうございました。もし、このnoteを読んでPOOLOに興味を持たれたのであれば、年齢と時間とお金が許せば是非一歩踏み出してはいかがでしょうか?
きっとあなたの生活はそれ以前よりも豊かに、前向きになれると思いますので。

最後にこのnoteはある歌の歌詞で締めさせていただきます。

一般的に普通一分で歩く距離を
3分4分かけて歩いてく人がいる
一歩踏み出すたびその意味を考える
ちゃんと確認してからじゃなきゃ
進めなくて遅くなる

何も考えない日々は
いくら積もろうが星の瞬きほど
哲学を探るんじゃない
置き去りの真理から何か見出せ

いずれあたしも死んでいく
死に方はきっと選べない
ならば生き方を選びましょう
前例がないような奇抜なのを

誰も真似出来ない
これが最高の生き方だ

日食なつこ「開拓者」より

ではまた!

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